教えて下さい。
亡くなった人は残された家族を見守っているとか、亡くなった人の為にも残された家族が幸せに生きる事が供養になるとか、そういう言葉をよくききますがそれはどうしてなのですか?
私自身自死した夫に対して、愛しく想い語りかける日もあれば、ひどく冷たい感情が出てきてしまい成仏されますように…と言葉だけを向けてしまう日もあります。もし夫の魂に私の心が伝わっているのであれば、そういった冷たい感情みたいなのも伝わっているという事ですか?それが伝わってしまっていたら夫はかなしむのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
素直に向き合ってください。
えむさんのご主人のご冥福をお祈り申し上げます。
「つぶやき」で、前半のみ読んで下記のようにお話しました。
『単純にしか言えませんが、私が先に亡くなった親として、我が子や我が孫が幸せになって欲しいと願います。そして、物質的な物はすでに必要ないので、その優しい心、思いやりの心が一番なのです。兄弟親子が仲良くすること、それが供養というものです。』
しかし、本題はご主人とのことだったのですね。
まず、ご主人との関係であれば、どのような理由で亡くなられたのかです。しかし、これはご本人にしか真相は分かりません。だからと言って、えむさんを決して責める訳ではありませんが、単に成仏してと言っても、それは何らかの思いがあっての行動だったのですから、少しでも理解してあげようと思うことでご主人は楽になられるのではないでしょうか。
亡くなるとは、単に肉体が変化しただけのことで、意識、思いはそのまま継続中です。もちろん魂の次元でも消滅はしていません。
ある意味で後悔されているかもしれませんから、そう意味で接して頂くことが供養ということになるでしょう。
もちろん、お経の力(経力)は助けにはなります。神仏にお救いして頂くことも必要でしょう。しかし、一番なことは、亡くなった無念さを理解してあげることだと思います。
でも、自分のせいであるとか、自分が・・・という思いは良くありません。
素直に心からご主人に向かい合って頂ければ、何かご理解頂けるかもしれません。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
自分を責めない日はありません。