感情をなかなかコントロールできない
はじめまして。
仕事、夫婦親子関係、人生の目標…と様々な悩み事や欲や葛藤を抱えておりますが、仏教と認知療法などからお知恵をいただきなんとか問題と向き合って暮らしております。
まだまだ未熟ですが、個々の問題にじっくりと腰をすえる余裕があるときは、自分なりに主観から離れて悩みを手放す事ができてきたように感じております。
しかし、当たり前のことですが状況は常に移り変わり複数の問題が同時に押し寄せることもあるので、常に心穏やかでいることはできておりません。孤独に耐えられない時がありますし、より良く生きることを放棄して楽になりたいというような気持ちになってしまいます。
先日も、問題を抱えていた夫婦関係を改善しようと努めていたさなかに仕事や体調面の悩みが重なり、自分で辛さを受け止めることが出来ず夫の心を傷つけるような態度や発言を取ってしまいました。
せめて誰かには拠り所でいてほしい、あとでどうなってもいいからその場だけでも甘えて楽になりたいと、安易な行動をしてしまいました。
孤独を恐れず他者に依存しない心構えを持てるといいなと頭では考えていても、負荷が増えると心と体が元の悲観的で他者依存的な自分に戻ってしまいます。
『そういうものだ、今はこういう時期だよ』と捉えることも同じように、出来る日と出来ない日があり、出来ない日には感情を受け止められません。
鍛錬を積めば、いつかは感情を完全にコントロールできるようになるのでしょうか?それとも、全ての感情をコントロールはできないということを受け入れるほうが自然なのでしょうか?
修行を積んでこられた皆様にご相談できましたら嬉しいです。
執着、過去
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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コントロール出来ない時は?
拝
コントロールしようとするのは基本です
でもコントロールできないからといって
自分を責める事はありません
むしろコントロールしようと努めているその姿勢を維持しようとしている事自体とてもすごい事なのですよ?
貴女は紛れもなく努力しており
感情を離れ確実に理性を手にしていて
それは僕達仏弟子にとって最大の喜びです
何故なら人類全体がそうやって真を生きる事をいつも願っているからです
感情をコントロールするというのはそれほど価値があり持続が難しい事なのですよ
貴女は良くやってます
あとは長時間感情に囚われず
怒ったらすぐに自分の機嫌を取る事ですね
かなり良い所まできてますよ?
だから真剣になりすぎて自分にダメ出しするのはやめて
笑う事です
そしていつもより少しだけ大きな声で話す事です
大丈夫だから自信を持って元気を出してください
合掌
感情はコントロールするものではない
感情は沸き上がる自然な現象です。
私もお葬式に行けば悲しい気分になります。時には涙してしまうこともあります。
それをコントロールしようとすることの方が不自然なことです。
ただし、その感情に振り回されてしまっては、悲しすぎます。物事に触れるとそうした感情「意」が起きます。しかし、それは沈めようとしたり、手を付けてみていると感情が暴走し始め振り回され始めてしまうのはよくお判りでしょう。
大切なことは手を付けないこと。感情が沸き上がってもそのままに否定も肯定もせず、手を付けない。イライラしたり、悲しくなったりうれしくなったりすることはあります。しかし、それにとらわれないようにもしない。何にもしないのです。
その内問題でなくなりますから。
自然と楽になってきます。
そして自分を立てて物事を考えないことです。ご都合ばかりを立てて物事を見ているとわがままになってきます。
そして苦しくなります。
自分を立てず、ただ事実に即して生活します。坐禅をするとその様子がつかめます。やってみてください。
質問者からのお礼
丸山住職
励ましのお言葉、涙が溢れました。深く感謝いたします。活力をいただいたと同時に、また自分がどんな考えを持っていたかわかったように思いました。
誰かに苦しみをわかってもらいたかったのだな、
難しいことだとわかっていたはずの感情のコントロール方法を躍起になって今すぐ会得しようと思っていたのだなぁと…
これからはもう少し自分で自分をいたわりながら、また今回のように様々な方と対話する機会もいただきながら、より良く生きていきたいと思います。
このたびは本当にありがとうございました。
暑くなりますが、ご自愛くださいませ。
邦元住職
あたたかいお言葉深く感謝いたします。日々の活動の合間に、何度も読み返しております。
感情のコントロールが少しできるようになったと書きましたが、お恥ずかしながらその成功体験によって私の心におごりが生まれたのだなと今気づきました。成功にとらわれ、本来の目的を忘れていたようです。
きっと質問当時に座禅をしたなら、座禅からも何かを得ようなどと思ってしまっていたかもしれませんね…
コロナ禍ということもあり、自分と身内だけの世界で視野が狭くなっていたこともあるのかもしれません。
このような場所で、久しぶりに外の世界の皆様と交流できたことは自分にとって素晴らしい経験となりました。
湧き上がる感情に手を付けないこと、自分の都合に振り回されないこと、そのような根源に立ち返る機会をくださり本当に感謝しております。
梅雨時期となりましたが、ご自愛ください。