犯した罪はいつか許されるますか?
人を虐めたり、嫌なことをしたり、人殺しをしたことは一回もありませんが、過去に何回も悪いことをした人、ちょっとでも悪いことをした人は必ず天罰がくだりますようにと十三佛真言50回ずつと般若心経10回とかをがんをかけてきたことがあります。霊能者?みたいな方にこういう風にお経唱えた事があって、今、病気で苦しんでいるのは報いがきたからですか?とお聞きしたら、それは報いはくるでしょうねっと言われました。一応、同じお経を唱えてお詫びささて頂きましたが、本当に自分はゆるされるのか不安です。どうしたらいいでしょうか?
もし、自分が、悪い事をしたとして、神様、仏様が地獄に落ちなさいと言われるのなら、素直に受け入れるようにしています。 誰かに死ねとか言われても、自分が死んでいい人間なら誰かに命をとられてもいいという思いで生きてます。一応、自分は六道がかっこいいと思っておりまして、親にも理解されてませんが、自分はそういう性格です。
自分自身、自分の煩悩をよくわかっておりません。ですが、自分に確かに煩悩があるとするならば反省する道に神様、仏様に導いてもらおうという気持ちしかありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏道修行にある真意
誰か許す人がいるわけではないですよね。
あなた自信が許せるかどうかでしょ。悪いことをしたら謝る。それができなければ良いことを沢山して次に生かす。
それが一番の懺悔でしょ。
お経を唱えることではなく、それをする真意を知ることが大切です。
悪いことをしたという後悔の思いにより自信が苦しむことが報いそのもの。
だから生活を改めて、次からはしないように生きるのです。
こうしてご縁があり、仏教に触れているわけですから、慈悲の心で多くの人に良いことしてください。きっとあなたの中に、ほっと安心できる心が芽生えるはずです。
日々の生活の中で
拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるように、人をいじめたり嫌がらせをしたり或いは人を傷つけたり殺したりした人がその報いを受けて罰を受ければいいのにと思ってしまうことはあるでしょうね。私もそう思ってしまうことはよくあるものです。
己の欲の為に人を傷つけ人に嘘偽りを言い惑わし盗み奪うような人々、多くの人々を扇動し多くの弱い人々を窮地に追い込み殺戮を命令し実行させるような人々、その様な大罪人は沢山いましたからね。
歴史を見れば偉人と言われる人々も沢山の方々を大殺戮をしています。それは今でもそうですからね。ですからその様な極悪な大罪を犯してしまうのが私達人間でもあります。そういう時代時期やタイミングが重なれば私達はやむを得ずなのか或いは平然と人を殺したり大罪を犯してしまう、そんな愚かな存在でもあるのです。
その様な大罪ではなくても私達の心の中にはいつもその様な悪意や悪言や悪業が忍び寄ってきます。ですから日々の生活の中で貪りの心を持ったり、怒りに我を忘れてしまったり、愚かなことを思ってしまう自分の心を見つめていくとこは大切かと思います。毎日の生活の中で仏様やご先祖様方にお向き合いなさってその様な我が身を心から告白して懺悔なさり、その様な悪しきことを思わずに言わずに行わない様にと仏様やご先祖様方にお誓いなさってみてはいかがでしょう。
あなたが天罰と思ったことも含めて心から仏様やご先祖様方に懺悔なさって下さい。仏様やご先祖様方はあなたの思い全てを優しく受けとめて下さいます。あなたに善き道をお示し下さり、あなたが心安く生きることが出来る様にお導き下さいます。あなたを受けとめて下さりお許しなさって下さいます。
宜しければ仏様やご先祖様方にお向き合いなさりお経おとなえなさる中で懺悔偈(さんげげ)というお経もおとなえなさってみて下さい。短いお経です。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
意味は
私は昔から数え知れない罪を犯してきました
それは限りなく遠い過去世からの貪り・怒り・愚かさによるものです
それらは私の身体・言葉・心によって生じたものです
私は今その一切を反省し心から懺悔します
宜しければ日々の生活の中でおとなえ下さいね。
「菩提心」
あっちゃんさま
お経や真言は、一切全ての衆生たちの苦しみがなくなりますように、全ての衆生たちが悟りへと至れますようにとしてお唱えすることが大切となります。
「菩提心」と申しまして、差別なく平等に全ての衆生への慈悲の心を養い、全ての衆生たちを救えるようになるための悟りへと向けた精進が求められるものであり、そのためのお経や真言として参りたいものでございます。
ですから、天罰を下すということではなく、過去に何回も悪いことをした人、ちょっとでも悪いことをした人たちも、どうか悟りへの道へと向かうことができますようにとして読経による功徳を回向していきましょう。
普回向
願わくは此の功徳をもって、
普く一切に及ぼし、
我等と衆生と、
皆共に仏道を成ぜんことを
略三宝
十方三世一切諸仏(一切仏)、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜
そして、功徳も、より実践的な功徳を積んでいく善業により、犯した罪、悪業も清らかにしていくことができることになるでしょう。
具体的には六波羅蜜、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧について学び実践していくことが良いでしょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
自分がしたことを反省し、生きていたいと思います。回答ありがとうございました。
最近、人の幸せを願うようにしました😊
自分に対して嫌な思いをさせた人達にも「その人達も悟りの光がありますように」とお経唱えています。病気で苦しんだこそ悪い事はもうしないと自分が決めたことが今、一番の幸せです。