今の自分を変えたい
私は、今まで周りの人たちに要らない存在扱いをされてきました。
幼稚園の先生に母親が身障者だからと、他の子と違う扱いをされ、小学4年生の時の担任には、
お前のような人間、大人になってもろくな人間にならんのだから、今すぐに死ね。と言われてから死にたい願望が芽生えてしまいました。
叔母からは、生むなと言ったのに。お前の母親はいうことを聞かずにお前を生んだ。要らないのに。とも言われ、
兄弟からも
要らない、死ね、消えろ。などと暴言をはかれ続け、今は両親もいないので、親戚とは音信不通のままです。
職場でもいじめにあい、あることないこと言われ、怪我までさせられ辞めるという悪循環を続けています。
このような
要らない駄目人間が、幸せに笑って過ごすためにはどうしたらいいのでしょうか?
教えてください。よろしくお願い致します
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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スケールを変える
問いの文章、読ませていただきました。貴女と同じ経験を送ってはいないので、強く共感したりはできないのですが、胸が締め付けられるような思いがしました。
日々いろんな事がおき、言葉を交わす中で、ズキンとしたりガーンとする言葉やできごと、自分を傷つけるような記憶は、なかなか消えないものです。私も、若い頃に緊張してお通夜へ行ったら、「あーあ、若いのが来ちゃったよ」と陰で声がしたのを、今でも覚えています。
そう、この世の中は苦しいことばかり大きく見えますよ。そして囚われていきます。「ああ、また言われちゃった。」可能ならば、どんなパターンで上手く行かなくなるのか、流れを分析してみませんか?暴言も、出会い頭にイキナリ浴びせられたのではないはず。コミュニケーションの中で出てきたものでしょう?「あの人が意地悪だから」「あの人が悪かったから」と個人攻撃しても、あまり役には立たないのです。辛いでしょうが、その直前に何があったか、どこかで立ち止まれなかったか、踏ん張れなかったか。思い出すのは辛いでしょうけれど、あなたの「負けパターン」が分かると、少しは違った結果が生み出せるようになるかも知れません。
きっとあなたは「花咲き山」に花を咲かせてきた人なのでしょう。そう思います。日本仏教はずっと、「人が亡くなること」をテコにやってきました。「亡くなる」とは何か、何が起き、どんな意味合いがあるのか。そこを仏教が答えることで、何をもたらそうというのか。
以下、私の考えです。浄土宗です。
人間、何が一番の問題かと言えば、自分が死に行く身であるということです。その後周りは大丈夫か、そして自分はどうなるのか。苦しいのか。寂しいのか。何処へ行くのか…。その答えが「仏様になる」「ご先祖様になる」です。人生一番の問題に、予め答えを与える。そのことで、2番3番の辛さを「小さなこと」と見なせるようになる…というのが、仏教の果たしてきた役割の一つであろうと思います。あなたはきっと、我が儘や自分勝手ではない人だと思います。それは、尊い人生です。浄土宗で言えば「南無阿弥陀仏と称えていれば、亡くなった後は仏様がお迎えに来て、極楽へ連れて行っていただけます」…その考えを捨てなければ、きっと日々の問題の囚われから解放されてゆくのではないか、私はそのように思います。
質問者からのお礼
解答ありがとうございました
生まれてこなきゃよかった、ろくな人間にならんのだから、今すぐに死ねと言われたときには、理不尽にも大勢ひとの居るなかで、突然言われたので、わかりませんが、
兄弟は、必ず物やお金がなくなり、問いただしたり、馬鹿にされて怒ったりするとか…そんなときに言われ続けてました。
今もあることないこと言われたり、一緒にはた
らいてたひとにお金を持っていかれたりと、散々な思いも負け癖なのかなと思いました
なるべく言葉にとらわれないように、頑張ってみます。
ありがとうございました