ご縁とは?苦しみから解放されたいです。
はじめまして。
亡くなった夫に対して、何が一番の供養になるのか、ずっと考えております。
夫は病気による突然死でした。夫と私の結婚に親族は反対していた事、私と親族は交流が希薄だった事、そのような経緯があり、親族は私に不信感を抱いているようです。納骨や法要の参加も遠慮くださいと言われております。
心を痛めておられる、夫の肉親であるご親族のお気持ちを大切にしたいです。たくさんの思い出があるはずです。
しかし、自分の心に手を当てて聞くと、実は私は法要に参加した場合の親族と顔を合わせた時の気まずさから逃れたい、、結局は自分を守りたいだけでは?という声が聞こえます。
法要への参加を諦めた私に対して、薄情な人間だと、親族はさらに不信感を募らせるかも知れません。その一方で、排除したい人物である私が、同じ空間にいることは、やはり心が騒つくのではと感じます。
このご縁をどのように受け止めればよいでしょうか?
義母は優しく接してくださいます。きっと本心を抑えて、私を気遣ってくださっているのだと思います。
今、裸の私は、大切な人を亡くした衝撃と悲しさで涙が止まりません。一方で社会性という仮面を身に付けた私は、分析的で計算高く、素直な心を見失なっているかもしれません。自分が嫌になります。
今は、ただ悲しみに浸り、泣きたい。もう一度会いたい、恋しい、それだけです。
ご飯を食べたり、買い物をしたり、迫りくる日常に平然と対応している自分が憎く苦しいです。
心の持ち方を教えて頂けますと、
幸いでございます。
どうぞ宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
沢山泣いて、涙で供養するのも良い
悲しい時はたくさん泣いてください。大切な旦那様を亡くされたわけですから、それは不安もあるでしょうし、会いたいとも思うでしょう。そのまま素直に出して良いのです。
法要はそうした思いから救われる為の、残された者たちの修行の場です。供養というのは亡くなった方のために行うと同時に遺族の救いとしての行いでもあるのです。
親族とのご関係でどうしても参加できない事情がおありなら、別にお寺におねがいして供養してもらったら良いです。もちろん法要に参加できればそれが一番良いですが。
亡くなった旦那様と向き合う大切な機会ですので、是非何かの形でやってほしいと思います。
ご自身のご都合が出てくるとどうしても判断がくるってきますよね。その部分は一旦おいて、旦那様とのことだけを考えて、行動してみてください。節目節目でお墓参りや供養をする事で、心の整理もついてきます。お経の中には救いが書かれています。
導きのある法要になると良いですね。
質問者からのお礼
邦元様
ありがとうございます。
涙で供養することも許されるのですね。心が少し軽くなりました。
感情がわからなくなって、
泣いてはいけないとブレーキをかけていたと思います。
法要を通して、しっかりと悲しみを受け止めていきたいです。
夫が一番喜ぶこと、安心することを思うと、それぞれが健やか生きることだと思います。
悲しみはまだ続くかもしれませんが、泣くことを許して、少しずつ受け止めていきたいです。
貴重なお時間をいただき、
ありがとうございます。