自分の世界について
私は難病当事者です。
発症したときから、全く関連性のない幻聴があります。
その内容が、一般的な精神病の幻聴ではなく、
私は夢の世界で生きている、
脳が逆なんだ、
気持ち悪い、といわれます。
ここしばらく悪化しており、
もう世界は終わりなんだ、
諦めてしんだほうが幸せなの、という主張に変わってきてます。
これが幻聴という症状である、という認識はありますが、何度も同じ事を繰り返し言われ続けて7年もたつので、
本当だからそういい続けてるのか、
もしくは刺激の状況が変わらないから同じ内容なのか、わからないです。
私自身、難病の治療を継続しておりますが、なかなか幻聴だけは良くならず、四六時中、一瞬も休まることなく幻聴が続いております。
私のいきてるこの世界は、夢の世界なのでしょうか。ずっと夢をみていて、誰かが私の人生を覗いてみてるのでしょうか。
生き方について、これまで様々な価値観を勉強してきましたが、真面目な性格が裏目に出たのか、考えすぎる自分がいます。
幻聴の話は一切無視して、自分のために、しあわせを感じて生きていくことが私に許されているのでしょうか。
他人に対して、自由に生きることが迷惑になりませんか。
物質世界はもう終わったの。
みんないない世界なの。
早く終わってほしいなどという内容も出てきます。
最近は特に悪化して、ほんとうにつらいです。
ご回答おまちしております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰も触らない、あなたも触らない世界をみつめ、見極める。
今日は埼玉では雨が降っています。
あなたの住んでいるところはどうでしょうか?
世界が共有している「天気」というもの。太陽の照らし「ハレ」大空を雲が覆う「クモリ」大地を潤す「アメ」というものがあります。
それはあなたも毎日必ず体感できる事実というもの。
あなたが聞こえる幻聴や想念の雲に覆われようとも世界の人間共有の大真実。
もちろん天気ばかりではありません。
精神世界とは別に体感している、景色、映像、音声、響き、香り、空気、味わい、感覚、体感、感受作用。それは万人共通の大真実です。
つまり、五感が体感する事実というものはあなたを裏切らないということなのです。
その事実そのものの来たり、ことの来たりに集中しましょう。
映像も音声も、香りも味わいも体感も、以下、ちゃんと実験してみてください。
それが見えた、聞こえた、香った、味がした、感覚がした、その時点ではあなたの価値観やあなたの想念・イメージ、あなたの思い込み、あなたの妄想、あなた流に考えること、あなたの精神によるタッチがないままに受け取っているはずです。ここが大事です。ここを意味が分かるまで何度も読み返し、全身全霊で感じ取ってみてください。
なぜ僧侶たちが坐禅や瞑想をするのか、阿字観、止観、マインドフルネス、祈り、仏道修行、仏作仏行をするのか。それはみな人間の見解による着手のないまっさらな事実を体感するためです。沈黙してまるで意味のないことをしているわけではないのです。ちゃんとした意義がそこにあるのです。
人間の感覚には、仮にあなたがどうせ「こうだ・そうだ」と思ったことでも、実はあなたの脳内フィルターを通した「後からの思い起こされた実物ならざるもの」があるのです。アンパンもクリームパンも袋の中身の方が真実でラベルや包装の方ではありません。人間は思考、考えという包装、覆いに騙される。そっちはサブなのにメインと誤認する。
仮に幻聴が聞こえても、よくその幻聴を触らないように聞こえるままにしてみましょう。どんな事実も内なる思いも、桃太郎の流れてくる桃のごとくにそれを触る、拾い上げる人が居なければそのもの、その桃は誰の手にも触れることなく流れ去っていくのです。
その声が「した」というのはあなたの脳の働き。
ですが、それを拾い上げるのはあなた。
内なる思いは事実ならざるものです。
今後、貴女の五感の受け取りは、絶対に裏切らない。
質問者からのお礼
ご回答をいただいてから1年が経ちました。
今は、幻聴の波を繰り返しながらも無事に学生生活が終わり、社会人として一歩ずつ前に進んでいます。
幻聴に対してできることは、無視すること。
受け流す、ということは簡単ではありませんでしたが、少しずつ、前向きに考えられるようになりました。
今、この瞬間を精一杯生きること。
感謝の気持ちを常に持つこと。
私がこの一年間で学んだことです。
価値あるご回答、ありがとうございました。
また立ち止まってしまったときは、思い出してみようと思います。