殺したいと言われ続けた人生
幼い頃から「おまえを産まなければよかった」「死んでくれ」と言われながら何とか生き延びました。食事を与えてくれる環境が他にあり、生命は繋ぐことができました。10代半ばで、餌を出すように食事だけ与えてくれる場所を出てから、生きる為に身体を差し出しながら暮らしました。それで得たお金で海外に行き、学びたいことを学び、数多くの友人も恋人もできました。好きなことを仕事にしました。
数年前にとあることがあってから、再び人から直接的に先に述べたようなことを言われるようになりました。
揉めたわけでも、なにかあったわけでもありません。親しくなったかな?ぐらいの関係で、突然に死にたいと打ち明けられ、その話を聞いていたら、殺したいとまで言われてしまいました。
散々聞いたあげく、殺したいか。笑えるねと微笑むことしかできませんでした。
それからというもの、私は人を人として見ることができなくなりました。仕事で何か利益をもたらしてくれたらありがとう、友人と会って話して楽しかったらありがとう、その程度の感謝はあるのですが、もう人を人として見ることができません。
私が人を人間扱いしていないのだから、非人道的な扱いをされるのも当然かもしれません。
しかしながら、人間とはなんですか。それを知るために今日まで生きて(または生かされて)きたのですが、そろそろ限界です。
この話を打ち明けたところ、わりと多くの知人が去りました。生い立ちが重すぎるとのことです。やっぱり話さなければよかったな、の繰り返しです。
私を殺したいと言った人には、生い立ちの話は一切していません。
人を人として見れないというのは、人の喜怒哀楽に共感できないと言ったほうが近いかもしれません。だからこそ話を聞くことができました。
何が間違いなのかも分かりませんし、そろそろ生き延びようという気力も尽きそうです。生き延びようと無理をし続けた人生でした。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生まれる業、支える業、邪魔する業
人間に限らず、生命はすべて、自分が一番大切なものです。自己保存の本能が一番先に来ます。せっかく幸福なはずの人間に生まれたのに、大変な苦労をしました。しかし何とか乗り切って、ここまで来ました。
自分を犠牲にして他者を助ける人もいます。キャパが大きくて、自分だけでなく他者の面倒も楽々見ることができる人もいます。その場合も、そのようにできる自分を自分で喜んでいます。
能力や精神的キャパが不足しているために、人のことを構っている余裕がない人もいます。親子の間でもそういうことがあります。
直前の前世までの業の中で、「生まれる業」が生命の形をその一生涯決めます。人間で生まれたら死ぬまで人間。途中でミミズに変わったりとかはしません。
その一生涯の中で、他にもいろいろな業が助けたり足を引っ張ったりします。仏教では、全部、過去の自分の業が巡ってきていると考えます。その代わり、善業も悪業も、結果が出たらそれは終わります。幸運に恵まれたら、その分の善業を使っているので、遣い終わって善業が尽きる前にまた頑張った方がいいです。
また、人間だけが、過去の善悪業の結果を受けながら、同時に現世で善悪業を作れます。ですから、不幸は避けられるだけ避けて、それよりも肝心なことは心まで不幸にならないように気を付けて、なるべく受け流します。幸運が来たら、享受しつつも調子に乗らないで、そこから善業を作れるようにますます頑張ります。
普段は欲や怒りを控えて、特定な人や物事への愛憎も控えめにして、「すべての生命が幸福であるように」という慈悲の気持ち、あるいは「生まれたものはすべて変化し死んでいく」「生きることのすべてが、調べてみると苦の連続」などという真理を頭に入れて落ち着いておくことが、心で行う善行為です。
自分の感情はないまま相手への慈悲の気持ちで、その都度、自分の責任分を他の生命にやってあげることは善いことです。
しかし愛情たっぷりとか、好き嫌いが激しくて自分のやり方で他の生命を振り回すなどという生き方は危険です。
その逆に、自分を大事にしたい気持ちが薄れて、誰かの望むままにお好きなように、などという自分を粗末にする生き方も危険です。
人は自分のことしか考えていない、それが当たり前、くらいに思って、淡々と他の生命と自分を観察しながら生きるのはどうでしょうか。仏教ではこれを推奨しています。
質問者からのお礼
ありがとうございます。数年前までは、過去のことさえ思い出さずに生きていました。人は私も含め自分のことしか考えていない、これも当然のことと思います。
仰っていただいたような慈悲の心で暮らしている人を私はまだ見たことがなく、一瞬ならば誰しもそのような境地になっても、常にそのような状態である人というのを私は知りません。振り幅のある感情がないまま大人になり、数年前に初めて人間らしい感情を認識して、ああ人間は大変だなと。これから先また感情を失う恐怖と絶望感しか今はありませんが、それでも生きねばならない苦しみと、なぜ生かされたのかという葛藤のもとに生きています。
解決のない事柄にお答えいただき、ありがとうございました。