自殺すると、どこへ行きどうなるのか?
お世話になっております。
最近よく拝見させて頂いております。
僕が聞きたいことは、
「自殺をした者はどこへ行き、どうなるか?」
ということです。
僕は20代前半、男、実家暮らしです。
最近、仕事関係で、うつ病を発症したのに加え、生まれつきの適応障害や重度のHSP、中学辺りからの、親や兄弟に対しての場面緘黙症など、精神面で人間として欠陥を抱えてきたものがここ数日で限界に達してきました。
「みんなホントにすごいな…。」とただただ、その感想しか出てきません。
この世界で生きていくにはあまりにも辛すぎます。
なんでおれはこんなゴミなんだと自己嫌悪で、毎日死ぬことばかり考えています。
僕の家は真宗大谷派という宗教に属しております。
しかし、お恥ずかしながら、僕は最近まで全くと言っていいほど、関心もなければ念仏さえもまともにしてきませんでした。
都合が良すぎるだとか、卑怯極まりないとは重々承知してはおりますが、自殺すると考えると神様やお釈迦様、来世の存在を信じ、縋りたい気持ちでいっぱいです。
自分がやれる罪滅ぼしとして、自分の貯金はすべて、孤児院などで暮らしている恵まれない子供たちに寄付してくれと、メモを残すぐらいしかありません。
あとは、祖父の墓に最後の挨拶をしてきます。
身辺整理もほとんど終わりました。
死ぬ当日に、仲のいい女性に手紙を日時指定で送る準備ももうじき終わります。
自分がやれることはもうやり切りました。未練はありません。
長々と語ってしまい申し訳ないです。
こんな僕は、やはり地獄だったり畜生や餓鬼に生まれ変わるしかないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「信じる心」次第なのです
自らの特性や性質に絶望された旨、伝わってきました。
しかし最後の最後に仏教、ご実家の宗派について気になられたとの事で、
これも何かの縁と思って聞いてください。
他の方を凄いなと思い自己嫌悪に陥っていられるとの事ですが、
お釈迦さまやご実家の浄土真宗の開祖、親鸞聖人も自分の事を落ちこぼれだと思っていました。
お釈迦さまは自分を傷つけるような厳しい修行を積んでいるにもかかわらず、
全く悟る事が出来無いと悩み、親鸞聖人もどれだけ勉強しても死ぬのが
怖いという気持ちを乗り越えられませんでした。
そこでお釈迦さまは、自分を苦しめるだけでは悟りは開けないと思い、
修業を辞めたところ悟りを開かれました。
親鸞聖人も自分の努力では助からないのであれば、仏さまにお任せするしか無いと思い、南無阿弥陀仏を唱えるだけで救われるという教えに辿り着きました。
多くの人は自分の努力で成功が手に入ると信じて、生活しています。
しかし努力と成功はイコールではありません。
努力しても成功しない事もあれば、その逆もあり得ます。
それでも人は明日死ぬかもしれないという現実から目をそらし、
まだ見ぬ未来の為に今を我慢しながら生きています。
シロさんは今に至って、現実を直視し死を通して自分の生に向き合われています。
だからこそ死後の世界が気になるのです。
宗教の重要な要素に「信じる」という事があります。
科学的であれば信じる必要は有りません。
知識として知れば済む事です。
そこに有るか無いかもわからない。
でも、それを信じるしか救われる手立てがない。
そんな人の為に宗教はあります。
親鸞聖人は「周囲の状況や事情に流される自分は地獄行きが決まっている。
だったら阿弥陀様を信じて何か都合の悪い事があるだろうか」と
決意されています。
たとえ今は地獄であっても、救いの教えに出会えるこの世に留まるか、
行き先の分からない列車に乗るか。
地獄も極楽もシロさんの「信じる心」次第なのです。