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死以外の楽になれる方法が知りたいです。

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今まで死んでしまいたいと思ったことが何度もありました。
辛すぎてその辛さから解放されるために死にたい、嫌な気持ちや嫌なことから逃れるために死にたい。と思っていました。

でも最近は特になにか大きな出来事がった訳でもなく、ただただ生きる気力がわかず死になくなります。

最近20歳になりましたが、私は幼い頃から何故か全然大人になりたいと思えず、大人になることが寂しく感じます。どんどんなにかが無くなっていく感覚です。

成人すると税金、年金など、今まで以上に生きるためにお金が必要になりますが、そんなお金を払ってまで生きる必要が私にはないと思います。

ほんとに何も価値のない人間なんです。
生きる気力がないです。
たった20年でなんだかすごく疲れました。
それなのにこの先も、疲れることしなきゃいけないなんて本当に嫌です。

周りと同じように生きていけない=普通じゃない=人間じゃない
そんな感覚です。

じゃあ死ねばいいのにと思われていると思いますが、何故かほんとに行動に移すことは出来ません。
まだ人生いい事があるかもとかバカな期待をしているんでしょうか。
自分の気持ちもいつからか全くわからないんです。

こんな感覚でこんな感情なら死んでも同じな気がします。

どうしたらいいですか。
何をどうしたらいいのかも分からないのですが、1番楽になれる方法が知りたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死ななくても幸せになれる道が仏道ですよ

私は曹洞宗の坊さんですが、お釈迦さまも道元禅師もやはり多くの悩みを抱えていられたようです。その悩み苦しみからどうやったら解放されるか様々な方法をとって修行されたみたいですよ。

その結果やっぱり心底救われるためには、「自分自身っていったい何?」ということです。自分とは何か。そこを徹底的に究明してはっきりとされたわけです。
これは、昔の偉人だからなしえたことではなく、私たちにも同じことが言えるのです。出家在家、年齢、出身、性別、何にも関係なく分かることなんです。だから仏教は宗教でありながら、宗教という枠組みすらも超越したものなんです。人の考え方、価値観も超えています。「人と同じでないといけない」というちっぽけな人間の脳みその考え方や価値観なんて足元にも及ばない真理があるということです。

漠然とつづりましたが難しいことではないです。今まで自分だと思って握ってきた価値観をいったん取っ払い、事実に参じる(なりきる)ことがじゅうようです。
我々禅宗では坐禅を通じてそれを学びます。六根という機能を使い学びます。頭でなく全身の機関を使って感じます。
眼、耳、鼻、舌、身体、心、この6つです。
今パソコンのディスプレーを見ていますが、眼はそのものをありのままに映し出します。しかし、眼は損得、好き嫌いを言いません。それはジブンの価値観、ご都合というフィルター越しに見たときに起きる自分っぽい思考です。この自分っぽい思考は単なる考え方であり事実ではありません。ですから相手にしなくてよいところです。

物事に触れたその瞬間思考が働く前が大切な事実であるわけです。坐禅中もそうですが普段の生活の中でも事実と思考を分けて捉える必要があるのです。
ご興味があれば直接円通寺のサイトやフェイスブックページなどにアクセスしてください。 
http://www.entsuji.org/

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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