悪口を言わない
小さい頃から両親に「悪口は言うな」ということを教えられてきました。
私自身も悪口の99%は理不尽なことだし、悪口を言うくらいな直接本人に伝えた方が良いということを十分理解しているので、悪口は言わないようにしています。
しかし私は小心者なので、悪口を言わずに本人に直接伝えると言うことがなかなかできません。なので、理不尽なことをされてモヤモヤしても誰にも吐き出すことができず、自分の中で消化しようとして溜め込んでしまいます。
なので、悪口を言うことはダメだけど、愚痴は言っても良いとか、悪口を言うとしても全く別のフィールドの人に言う(職場の人の悪口を言いたいときは、職場の人に言うのではなく、家族などの職場とは全く関わりのない人たちに悪口を言う)などの自分の中でルールを決めて、ストレスを吐き出せるようにしました。
しかし、悪口と愚痴の違いってなんだろう?悪口と愚痴の根本は同じじゃないか?と考えてしまったり、小さい頃から悪口を言わないようにしていたせいか、全く別のフィールドの人に悪口を言おうとしてもなかなか言うことができません。
そうするとまた理不尽なことをされた時のモヤモヤをどこにも吐き出すことができず、ストレスをためがちになってしまうところがあります。
どう言う考え方をすれば良いですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心の健康管理
https://meaning-difference.com/?p=3265
わかりやすいページを見つけたのでご覧ください。
その言葉の矛先がどうなっているかによるところが、大きな違いでしょうね。
いずれにしてもあまり良いものではないのですが、それが他を攻撃する結果に繋がらなければ(と同時にご自身の心の健康に繋がれば)、コンスタントに吐き出してください。
「言霊」という言葉があるように、人は食物で身体をつくり、聞いた言葉で心を作ります。無意識のうちにコツコツと積み上がった何かが今の貴女を形成しているのです。
自己解決できる範疇とできないレベルとを棲み分けて、適切な対処をしてください。
愚痴や悪口で済まない、早急に「離れるべき」ケースも有るということです。
職場の人間関係はいろいろと厄介です。根本的にダメなら、ドライな判断や諦めも肝心です。以上ご参考までに。
悪口とは
ご両親もあなたも立派ですね。悪口が陰口(仏教的には「離間語」)であり、本人のいないところで本人のことを悪く言うので、回りまわって多くの人に、そして自分にも影響することを、よく気を付けて家訓にしておられるのでしょう。
実際、悪口を聞かされた相手にも、一方からの感情交じりの情報だけ仕入れて、影響が出るでしょう。かわいそうかもしれません。自分にはその場のストレス発散と相手が同調してくれたら嬉しいくらいしか実りがないので、もっと別の発散方法があればいいですね。
愚痴、しかもまるっきり関係なさそうな人に、これはただの愚痴だと断って、ただ聞いてもらうというのは、悪くないと思います。聞いてくれる人がいるのはありがたいことです。その人(たち)を大事にしつつ、苦しい時は頼って良いと思います。これは悪口を言っているのではなく、カウンセラーに診断してもらうためにあなたの状況を説明して苦しみを軽減してもらっているということでしょう。
ということは、言い方ひとつで、関係ある第三者に言っても、悪口にならずにうまく伝わるかもしれません。
ひと工夫必要です。何かがあって、感情的に嫌になる。そこですぐにぶちまけると悪口。でも飲み込んで、そのままだとストレスになるので整理してみて、たとえば、「なるほど。同じ注意でも言い方がこうだから私にはこたえたのだ。こうしてもらえると助かるんだが」と、感情を整理できたところでなら、第三者に言っても悪口になりにくいです。「あの人にまた、こんな風に言われた。もうぐちゃぐちゃ」では感情ストレートで悪口っぽいですが、「あの人の言い方がこうだから、私には結構こたえるのよね。ここだけこういう風だとありがたいんだけど」では、内容は同じでも自分で整理して問題解決を探っているので、悪口とは言えないのです。しかもそのようにまとめてから勇気をもって本人にも伝えてみると、少しはやりやすいかもしれません。
その場でスパッと言い返す、やり返すのが本人に返すのだから悪口にならなくてよいようにも見えますが、こちらも感情だけならかえって問題が広がるかもしれません。
むしろ、その場は我慢して、何が嫌なのか何が問題だと自分が思っているのかを整理してから、後で、「すみません、じつは」と言えば、立派な意見陳述です。