10年間常に罪の意識で苦しみ続けてます。
10年近く前に詐欺で300万円という大金を失って以来
「常に犯した罪に対して罰を背負うべき」という考えが片時も抜けません。
それが原因で「死にたい」という「希死念慮」が常に頭の中にあります。
10年近く苦しんだせいなのか、そう思うことが自転車に乗るのと同じくらい自然にできるようになっていて、当時散々迷惑をかけた親がいくら「許す」と言ってもそれを受け入れることができません。
100回許してくれても101回目は許してくれない、10000回許してくれても10001回目は許してくれない。と自動的に思考するようになってます。
親は許してくれているのですが心の中の自分自身がどう頑張っても許してくれずに10年間ひたすら「死」という「罰」を受けろと言い続けています。
自分の中では「終わったこと」と認識できずに現在進行形で「起こり続けている」ことになっているんでしょう。「死ぬまで十字架を背負え」という心の中の自分がいるのでしょう。
心療内科に通ってますが根本的な解決には至らず、ずるずると投薬治療を続けています。
今日も12時から5時間近く悩み苦しみ続けていますが罪の意識は消えないどころか「死にたくなるほど苦しい自分の悩みを「カルーク」受け流す親や心療内科 の先生」に殺意にも似た憎悪を抱いています。
何でわかってくれないんだ! なんで苦しまないんだ! そんな怒りを感じています。
ひどいときは休日でもこうで(今日とか)、仕事中は常に「死にたい」が頭の中にぴったりと寄り添って離れず「死にたい死にたい」と言い続けて「これ以上言い続けると本当に死んでしまう!」と思わせて精神をマヒさせないと到底仕事になりません。
ひどいときはマヒする前に圧倒的な「死にたいの洪水や津波」が襲ってきてそれでおう吐して早退。なんてこともあります。
何が一番つらいのかというと「真剣に向き合ってくれる人が周りには誰もいない」それこそ「話を聞いて泣きだすほど感情移入してくれる」人を探しているんですが誰もいなくて常に孤立していることです。
しょせん人の人生は自分自身で何とかするしかないのでしょうか?
子供の頃は勉強だけはできたから「自分は特別な人間だ」と思ってそれが「300万円詐欺で否定」されたからこんなにも苦しいのでしょうか?
回答お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
御自身への執らわれの心を離れましょう…それが仏様の働きです
あなたの親御様はその300万円の損失を許して下さっているんですよね。
でも『10000回許してくれても10001回目は許してくれない』とあなたを脅迫し続けるあなたが居るんですよね。そのあなたとは「心の病気に苦しみ続けているあなた」ですよね。
一つだけはっきり言えることは、もしあなたが自死をなさったら、そのことを一番喜ぶのは「あなたを死にまで追い詰める、詐欺を働いた相手」ではありませんか。そのことを想像なさった上でも死ねますか…。
どうか、生きて下さい…しっかりと生きていくことこそが詐欺犯に対しての一番強力で効果的な「復讐」になります…ちょっと表現はきついですが、お許し下さい。
親御様や心療内科の医師が、あなたの一緒に苦しんで欲しいという要求に沿わないのは、添えないからではないですか。人は好き好んで苦しみを背負いたくない存在です…自分が可愛いという思い(煩悩)がありますから。
あなたも苦しいのは嫌でしょう。実際は苦しみから解放されたいはずです。
でもそれを許さない存在がいる…つまり「病の中にあるあなたご自身」です。
御自身を、死に追い詰めるまでの苦しみから解放してあげましょうよ。
結局、あなたを苦しめているのは「自分は本来こんなはずでは無い。もっと優秀で立派で輝く存在である」という思い…プライドです。
プライドを捨てましょう。プライドは捨てられませんか…。
でも「プライドの高さ」は「コンプレックスの深さ」なのです。
コンプレックスから解放されたとき、妙なプライドも無くなって、楽に自然に生きることが出来るようになっていますよ。
「自分のプライド」で、「コンプレックスを抱いた自分」を追い詰めることを止めましょうよ。
そのためには、そのような時間を物理的に無くすことに尽きます。
外に出ましょう…自然に向き合いましょう。散歩しましょう。旅に出ましょう。何か作りましょう。芸術に触れましょう。
最初はつまらなく感じるかも知れません…それでも何でも良いので何かに取り組みませんか。
詐欺犯を忘れる…被害額を忘れる…自死の思いを捨て去る。
つまり、自分の執らわれの心を捨て去る…そこに安楽が生まれる。
そのように働き続けて下さっているのが仏様です…。
質問者からのお礼
おっしゃるように「なんでも完璧にこなせないといけない、具体的には「誰からも何も言われない、言われてはいけない」と思ってる強固なプライド」があるのは自覚済みで、それは昔「勉強だけはできた」というか「勉強だけしかできなかった」頃から培われたんだと思います。
暇さえ、いや一瞬のスキマ時間さえあれば「お前はあれも、これも出来なかった」と言って責める自分がいるんですよね。
「心の病気に苦しみ続けている自分」というのは自分自身であるため最も厄介な相手ですが、何とかしてみます。