hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

失恋しました。助けて欲しいです。

回答数回答 2
有り難し有り難し 20

4年ほど付き合って4日ほど前に失恋しました。
別れた理由は「ゲームばかりで幸せに出来るか分からない」という理由です。
お互い初恋で付き合うのも初でした。
元彼とはSNS等を連絡手段は残っています(残しておいて欲しいといわれた為)。

たまにSNSを見ると(元彼のSNSも流れてくるため)、幸せそうで楽しそうで、いいな、羨ましいという気持ちもある反面、なんで辛くないんだろう、好きだったのは私だけだったのかな、と思ってしまいます。

もう生きるのが嫌で、何度も何度も死のうとしました。
でも親の気持ちを考えると怖くて、申し訳なくて死ねません。

元彼は多分もう私の事を忘れて、ほかの友人達と楽しくゲームばかりしていると思うと、憎くて殺したくてたまりません。
助けて欲しいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の愛情と同じものを求めてはいけませんよ

質問読ませていただきました。

初恋は特別なものですし、それだけ相手のことを大切に思われていたのですね。
心中お察しいたします。

さて、「ゲームばかりで幸せに出来るか分からない」とのことですが、少し情報不足でわからない点があります。
おそらく、彼がゲームばかりしていて、彼から「自分はゲームばかりやっているから、あなたのことを幸せにできないかもしれない」と別れを切り出されたということでしょうか?

どちらから別れを切り出したにしろ、1つ大切なことがあります。
それは、「自分と同等の愛情を人に求めてはいけない」ということです。人はどうしても、自分がかけた愛情と同じもの、もしくはそれ以上のものを求めがちです。それは彼氏・彼女の間柄でも、夫婦でも、友人でも、親子でもです。
ですから、それが得られないときに「私がこれほど想っている(手をかけてあげた)のに、なんであなたは私のことを想ってくれないの?」と怒ってしまいます。
しかし、それは自分勝手な要望です。相手には相手の考え方、価値観、性格、事情などがあるのです。そして、相手は相手なりに自分のことを想っているのです。

今回、彼は「あおさんのことは好きだった。しかし、それ以上にゲームが好きだった」それだけのことです。怒ったり恨んだりする気持ちも分からなくもないですが、そういう価値観の人だったということです。それを相手にぶつけても、仕方ありません。

おそらく、あおさんは人一倍愛情が強いところがあるのでしょう。でしたら、そんな自分に合うような、自分のことを見てくれて愛情を注いでくれるような人を見つけるのが一番ですよ。
初恋の相手は特別に見えるかもしれませんが、男性はその人だけではありません。その人より自分に合った人というのは、必ずたくさんいます。
相手への未練に縛られて立ち止まって自分を苦しめるより、自分を幸せにするために未練を断ち切って進み出した方がよくありませんか?

そんなことも考えながら、少しずつ前に進んでいってみてくださいね。

最後に1つ。相手のSNSは消すなり、見れなくするなりした方がいいですよ。
今のあおさんの状態では、そんなもの見てもなに1つ幸せになれません。
まずは未練を断ち切る、ここから始めてくださいね。そうすれば、もっと明るくて広い世界が見えてきますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお勤めさせていただいております。山手の方にある、自然に囲まれた日蓮系宗派のお寺です。 13才から僧侶となり、たくさんの方と関わってきました。 現在は42才となり、3人の子育てに奮闘中です!また、教育関係の仕事にも勤めたことがあります。 自分の経験したこと全てが私自身の糧となり、それが人を救う力になればいいなと、何があってもポジティブに考えるようにしてます。 その経験を活かし、 ・人間関係 ・将来の不安 ・仏事全般 など、様々な質問に答えていきたいと思っております。 何か悩み事がある、個人的に相談したい、質問について他の人に知られたくない、という方は遠慮なくメールにてご相談下さい。 今までにたくさんの方からメールにてご相談をいただいておりますので、気軽にご相談してみて下さいね! また、ハスノハの回答には字数制限があり、私の回答に対するお礼に返事が出来ない場合も多々あります。ですので、返事を望まれる場合もメールにてご連絡下さい。 メールアドレスは下記をご参照下さい。 一両日中に返事をするようにしておりますが、こちらからの返事が届かない場合は、 ・メールアドレスを間違えていないか ・受信拒否設定はどうなっているか を確認して、もう一度メールを送っていただければありがたく思います。 また、お寺に直接訪問されてのご相談も受け付けております。その場合は、まずメールか電話にてその旨をお知らせ下さい。 お寺の予定と照らし合わせて、日時を調整させていただき、お寺の詳しい場所などをお伝えいたします。 ただし、電話回線が1本しかないこと、他の法務の電話が多いことから、失礼ながら電話での悩み相談は承っておりません。 直接お寺に参詣されての相談か、メールにての相談に限らせていただきます。 また、直接お寺に参詣されての法事や、ZOOMを通じての法事なども受け付けておりますので、希望があれば何でもご相談ください。 メールアドレス joukai4378+soudan@gmail.com 電話番号 0774-65-0161
法事や行事がなければ、平日・休日共に 9:00~12:00 14:00~17:00 の時間帯で相談できます。 土曜日や祝日の前の日なら、お寺の予定が何もなければ 21:00~ でも相談できます。 他にも調整できる場合もあるので、お問い合わせください。 人に話をしたり言葉に出すことで、気持ちが晴れたり、考えがまとまったりすることもあります。 どうぞ遠慮なくご相談ください。

そもそもゲームというものが「逃避」という心理と眺めてみる

世の中にSNSやゲームをたのしむ、たしなむ人は多いですが、そもそもSNSやゲームというもの、その行為自体が人間が描いた人間にとって都合のいい非現実なる都合世界。それをゲームと呼ぶ。SNSもアカウントはいくらでも作れます。嘘も言えます。顔も変えられます。そもそもが非現実なるもの。
勿論、アカウント主やプレイヤーたちは現実の人であっても、ツールとしているのは仮想現実空間。
人生は一度死んだらおしまい。やり直しなし。ゲームは何度もやり直せる。そこで思考もずれる。人生一ミリでも思考や物事のとらえ方を誤れば心もバグる。本来人間はリアルの今日、いま、ここ、このことしかない。このリアルの日常の現実、リアルの生身の人間をわが相手とするべきなのに、人はゲームや自己の脳内ワールドという仮想空間・仮想設定・人間の都合のいい設定世界を相手にしてしまう。
あなたの今の悩みも「どこ」で起こっているのか。
「そこ」はどこまでいっても「いま・ここ・そこ」にないものでしょう。相手があるといっても、手の届くところにいるのか。手が届くところにいるといってもこちらが思っていることと相手も全く同じなのか。実際にはズレがある。相手にしているものが「私の中の過去のデータ」や「私の脳内に想起されたイメージ」というキャラを相手に戦っているからです。
そこでさらにゲーム的な思考になってしまう。そういう仮想世界の糸のしがらみから目覚めることがあなたの初めての「出逢い」となるでしょう。
現実は逃げません。
仮想世界は人がコントロールする世界であり、虚無的な世界なのです。
よって、あなたの失恋は失恋ではなく、目覚め。自由の獲得、再スタート、旅立ちの獲得、本当の真実アカウント、本当の真実プレイヤー、本当の主人公を獲得することがようやくできたのです。人生はこれからが始まりです。あなたの身心は毎日、毎秒、無常という自由と浄化の滝によってリセットされ、清らかにみちびか
れています。
それこそがゲームで獲得するよりも大きなアイテムであり、恋愛よりも大切な人生の大真実です。この自分自身をおろそかにするようなことはみんな手ごたえのない非現実ならざる世界、仮想現実と思いましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
追記の質問でごめんなさい、
多分彼の中では【ゲーム、友人との約束など、私】っていう感じで、いつも私だけ後回しにされていました。
私と一緒にいる時も友人から連絡が来ればすぐに友人の所に行ってしまうって感じで、ずっとひとりぼっちな気がしてすごく寂しかったんです。連絡先を消せない理由は寂しかったというのもあるんですが彼が「友達だし残しておこうよ」と言った為消せずに残っています。
今も彼から連絡が来て「寂しいね」「私が1番好き」「別れて本当にごめんね」という連絡が来る度に「復縁できるのかな、期待してていいのかな」って思って、立ち直れなくて、未練を断ち切れないです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ