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理不尽なこと

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

こんにちは。
いつもありがとうございます。
お坊さんは、理不尽なことや腹立たしいことがあった時どのように気持ちを切り替えられていますか?
教えて頂ければ幸いです。
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

理不尽は自分も周りも助かる精神で良い流れをつくる

理不尽の正体はつまるところ人間の都合。
人間の集まるところエゴのルールあり。
人が多く集まれば、それぞれの「我」や「自分ルール」でぶつかり合う。そのぶつかり合いで理不尽な珍事が起こってしまう。これは世の必然の道理です。
仏教の八苦にも「求不得苦・怨憎会苦」があります。
・求めるものが居られない。
・憎ったらしい人間との出会い。
それらをかわす、対処、逃避、苦を除くことはできても、今後も状況が変わらなければ、同じ苦しみが繰り返される可能性はある。
だからこそ、苦を無くすことも大事ですが、自分も周りも良くなる状況へ流れを変える全体の意識を高める「善導」の精神は大切です。
修行道場はまさに理不尽なことばかりでした。どこの組織・団体でも人が集まれば理不尽なことはある。それはその組織の人たちの公的課題です。対処の仕方によってそれも生きた学びになる。
世の中変えられることは沢山あります。できる範囲でより良くすることは仏教のみならず人類の課題です。
私の尊敬する上田宗廉さんという先輩僧にこのように教わりました。
「Aさんはこうしろ
 Bさんがこうしろ
 Cさんはこうしろという
皆意見が異なる際に、お前ならどうする?」と。
私は当時、力に迎合するだけの姿勢で
「一番立場のエラい人の意見に合わせればいいんじゃないでしょうか?」と答えましたら「それじゃだめだ。全員を納得させなきゃ。」「…!」
自分も納得、相手も納得、そのルール自体がおかしければそれも問い直して全員を救うのであると。理不尽や人間ルールのぶつかり合い。苦境を打破する救いの道を見出すには、その苦境・理不尽を向上の学びにする。そのおかしいことや苦境を「世の習いだから仕方ない」と泣き寝入りせず、全体的に良くする精神を持つ。自分の我をではなく最良の方法で浄化する。
理不尽なことが生み出される原因は周りに誰かの無茶な人間ルールをゴリ押しするのが始まりです。
つまり、理不尽の本質はエゴ。誰かの自己中心的な人間ルール。人が理不尽に嫌悪感を感じるのはその為なのでしょう。だとすれば、その人間の都合や我欲のレベルの最終的な向い先、導き先はいくらでもより良く向上できる。
理不尽という言葉に騙されず、エゴや我の本質を見極めてみなが納得するレベルに導く。自分も相手も全体的に利益されるように事を運ぶ。その精神によって第三の道、活路が見出されるのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

拝読させていただきました。

そのとき生じた事により、理不尽なことや腹立たしいことなどは、その時の心情にも多少なりとも左右はするものです。

しかし、相手が攻撃性ある内容の場合は、「この人は自分の欲を押し付けにきているんだな。」と判断し、諭しに切り換えますね。

 人は誰しも、人間関係から「因」+「縁」=「結果」となります。いわゆる仏教でいい因果の法則です。これは絶対の真理なのです。
 相手との関係性を選んでいることもしばしばだと感じます。

 わたしは、このように理不尽や腹立たしいことがある場合は、ひたすら掃除をしたりして部屋をキレイにします。すっきりすることで冷静にとなり、掃除中は他のことも多少思うけども、掃除に集中します。

 みなみさんの質問での「理不尽」「腹立たしい」事の内容がわかれば、また対応・返答は異なります。

 至る処は相手が理不尽であり、みなみさんがそれを気持ちよく受け取れないことは、相手の願い(欲求)でもあると感じます。
 しかし、受け取り側での「心構え」では嫌な理屈を攻められると「心は動揺いたします」
 それがどのように動き出すかなのです。嫌悪感なのかなど・・・

 釈迦は「強風がこようが、嵐がこようが、いつも岩山が揺るがないように、人間の心も岩山のような心構えが必要である。」と言っています。

 相手の問題もありますが、自分の心の在り方で変化がともないます。

 苦しみというものは簡単にいいますと、二つの種類があり
 1、内苦(ないく)
 2、外苦(がいく)
が、あります。

感情と感情が戦っているのですが、それは自分自身との葛藤が大半を占めます。
相手がどのような心理状態で、みなみさんへ嫌悪感を抱かせるような気持ちにさせているのか?そこには原因があり、その原因を対処方法があるので、「理不尽・腹立たしい」ことを最小限に抑えることもできるかも知れません。

時間が経てば、世の中には色々な人がいる。腹立たしいことが自己の内面で生じ、苦い思い出が邪魔になるときは、最初から危機管理能力度の察知する観察力を高めておけば、原因をつくらずに回避することもできることもあります。

相手にしないことをできる心の環境つくりが、気持ちを楽に導くひとつの方法であります。

よくなりますことをご祈念申し上げます。

合掌

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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは正しい道しるべであります。 選択肢が多い世の中になり、何が正解であるのか?すべて正解であります。しかし、人は損得で判断するのでなく、正しいか正しくないかで判断する人間であることを説いていきます。 ※電話相談は受け付けませんので、あらかじめご了承ください。

質問者からのお礼

丹下 覚元さま

おはようございます。
早々のご回答ありがとうございます。
自分も周りも良くなる状況へ流れを変えられるよう頑張ります。
少しずつですが、こちらで何度もご回答を頂き
前向きになってきています。
ありがとうございます。

法源様

おはようございます。
早々のご回答ありがとうございます。

〈みなみさんの質問での「理不尽」「腹立たしい」事の内容がわかれば、また対応・返答は異なります。〉
との事で説明不足で申し訳ありませんでした。
何度もこちらで相談させて頂いている主人の不倫相手がsnsでいじめなどで人を傷つけることは絶対にしてはいけません!と立派な発言をされていてコメント欄は不倫相手を絶賛するものばかり。私としては妻子がいるとわかっていて一年以上も主人と不倫をして私と子供達を深く傷つけたのによくそんな発言が出来るなと理不尽で腹立たしかったのですが、いつまでも恨んでいても自分もしんどいし悪いことを引き寄せそうなのでそろそろ気持ちを切り替えないとと思い質問させて頂きました。

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