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お墓参りのあれこれにお願いします

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嫁いだ娘が実の祖父母のお墓参りするのはよろしくない、と聞いたことがあったので不安になったのでよろしくお願いいたします。

結婚する前まではお墓参りはあまりしたことなかったのですが、結婚して数年、ここ最近自分の父方の祖父母のお墓参りに行きたくなりました。
お線香とお水交換だけですが、行ってきました。

嫁ぎ先のお墓参りをするのはもちろんのことですが、実の祖父母のお墓参りもして良いですか?
私自身は安心する場所だし、ほっとした気持ちになりました。

あと、ちょっと気になったことなのですが、
この前、お線香は持っていったのに火を持っていくのを忘れてしまったので、手を合わせるだけになってしまったのですが、失礼にあたりますか??
家からお墓は近く、行きたいなぁと思ったときにふらっと行ってるので、お花も用意できずで行ってるのでそれも失礼ですか…?

分かりにくい説明ですみません。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんにちは。

 「嫁いだ娘が実の祖父母のお墓参りするのはよろしくない」というのは初めて聞きましたので、ネットで少し見てみましたが、「実家の方できちんと管理しているお墓を、嫁いだ者が出しゃばって管理するものではない」という意味合いで言われるようです。お花などを実家のご家族がきちんとしているのに、そのお花を外して自分の持ってきた花をお供えする事に対し、気分を悪くする人がいるかもしれないから、という理由のようです。
 仏教的に言えばどなたでもお墓をお参りすればいいですよ、という答えになりますが、お供えの花をどうするかなど実家のご家族への配慮は必要かもしれません。

 お線香についてはもし持ち合わせがなければそのまま手を合わせるだけでも良いですよ。火やお線香を忘れたら、貸してくださるお寺さんもあります。もし忘れてしまったらお寺に声をかけてみましょう。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

ご先祖様のお墓にお参りに行くのに、何の遠慮も要りません。

どうぞどうぞ
行きたいなぁと思ったときに
ふらっとお参りください。
よくお参りされるのですから
手ぶらでお参りされて大丈夫ですよ。

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おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

それもまた学びとなすことで良い供え、良い供養となる。

供養は「人+共+養の精神」で。
人がお互い、共に養い合って高まり合う気持ちでお勤めしましょう。
生きている人も亡き人も互いの関わり合いによってより良い心へと導きあう宗教行事ですから、供養で凹んではいけません。(*´▽`*)
よって、こんな話をお土産に一つ。

お香は供養の中でも最高のもの。
仏さまは「香をもって食となす」といわれるように最高のお供えです。
なぜお香が尊いのかは諸説ありますが、その精神の一つは香りや煙が「諸行無常の無言の説法」だからです。
煙は煙をけむりという間にその姿を転じてとどまりなし。
香の香りをこの身がきけば、おのずから妙香妙心へと転ぜられ、上手に聞く人(仏)は自他をして法悦に導く。
無常という仏教の説示・説法は単にモノの移り変わりではなく本来一切を救済するはたらきです。
私たちの身心は願わずとも頼まずとも刹那刹那にそのことを了じて、一切の苦楽からも解脱している相あり。
そういう法の理をお香によって学ばれ、ここで会得なされればそれも良い供養です。
最上の供養はその供養によって人がこの上なく安楽で聡明なるこころへ導かれることだからです。作法の是非でケンカになったり凹んだら供養の目指す心ではありません。
よって、あなたもお香の功徳によって過去の苦しみや悲しみから離れていることに心を巡らせればそれも香の功徳。その救われた安らかな心で世の人に接すれば多くの人の安らぎが継続するよき功徳になるでしょう。
🌊
水は一切をきよめ、潤いを与えてくれる最高の恵み。法雨。
供養の水は万物を生成・浄化・成長させるはたらきの象徴でもあります。
水の様相もまた無常・無我の説法。
水はある時は湯となり氷となり、霧、滝、海、雲と無限に変化する。
その無私無我なる働きは私たちの心も無我=自由な心へと導いてくれる最上の功徳であり浄化の供養です。水の功徳や水のその良い働きを心で念じて、生かすことで一切のものの来たりが法雨となる。一切を水に流せる大きな功徳となりましょう。
華もその香りや華やかさによって人は安らぎに導かれる功徳あり。
いくつになってももらってうれしいものですね。
悲しい心も悪しき心も良い心、明るい心へと転じてくれるやさしい導きの功徳があります。蓮華、法華によって悟りを開く人あり。
お供えはそこに仏教的精神を込めることでさらに良い供養となるでしょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
よかったです、安心しました!
今まで通りお墓参り行こうと思います。
ありがとうございました。

和田隆恩さま
ありがとうございます。
嫁ぎ先も自分の祖父母のお墓も近いので、気軽にお参りに行ってきます。
ありがとうございました!

丹下覚元さま
お礼が遅くなりすみません。
為になるお話ありがとうございます。
何回も読み返してなるほどー!となっています。
ありがとうございました。

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