自己表現とわがまま
私には「良い人」を演じる癖があります。幼い頃いじめられた経験があり、嫌われないように本音を言わずに生きてきました。
現在もそれは続いており、「職場ではニコニコと元気の良い自分」を無意識に演じてしまい、帰宅してからぐったりと疲れてしまいます。
喜怒哀楽を表現することは「悪」でしょうか?自分を出すことなく生きていくよりないのでしょうか?自分に自信がなく、素の自分で付き合える人は一人もいません。しかし友人から頼られると、無理をしてでも期待に添えるように行動してしまいます。
これも性分と諦めて、このまま生きていくしかないのでしょうか?自分を大切にするということは、わがままでしょうか?また、自己愛はどこまでなら許されるのでしょうか?人のために尽くすことが、尊いことであるのは理解しておりますが、その影で押し殺した自分をどうしたら良いのでしょう?
ご回答いただけましたら、幸いです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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和顔愛語
あなたのような人を和顔愛語(わげんあいご)の人といいます。
これはとても良い事なのです。
職場の雰囲気も明るくなるし、社員間の潤滑油的な役割にもなっていることでしょう。
仏道修行でもあります。
自信を持ってください。
でも、頼みごとを無理して期待に応えようとしてストレスがたまっているのですね。
やはり、無理してはいけません。
無理なものは無理です。
断りましょう。
無理に怒って断らなくてもいいです。
笑顔で丁寧な言葉で断ればいいのですよ。
ごめんなさいね〜(^∇^)
って感じで。
無理なことを断る練習をしましょう。
自分を犠牲にして、他人の為に尽くすことは、仏教的にも正しい行為ではありません。
先ずは自分の為に行動して、それから他人の為に行動するのが正しいのです。
あと、ストレス発散に飲酒はほどほどにしましょう。
運動やカラオケなどでストレスを発散した方が健康にいいですよ。
演じるのは良い。でも喜怒哀楽は出していこう。
私も「いい人」を演じ続けています。一生演じ切るつもりでいます。
でも私はそれが原因でうつ病になってしまいました。
あなたと一緒で喜怒哀楽までかくしてしまったからです。
喜怒哀楽は人間として当然の感情です。これまで隠してしまうと、私のようにうつ病になってしまいます。
その後私は「いい人だけど、毒舌な人」を演じる事にしました。度が過ぎて先輩から注意されるくらい毒舌です(笑)。嫌なことはやんわり断るようにしています。断り切れない事も多いですが。
あなたも少しずつ、演じるキャラを変えてみては?
質問者からのお礼
早速のご回答、ありがとうございました。
私は自分が嫌われることを恐れて、臆病なだけだったんですね。そのせいで、自分で自分を苦しめていただけとわかりました。
少しづつでも、喜怒哀楽を表現することを自分に許せるよう、自分なりに工夫していこうと思います。
自分を大切にし、他人を大切にすることは並行して行えることと、教えてくださって感謝しています。
これからも視野が狭くならないよう、自然な笑顔ができるよう、頑張ってまいります。
本当にありがとうございました。