自分が情けないです
今までの自分を振り返ると、非常識な事、マナー違反な事を色々としてしまっている事に気がつき、自分が情けなく、自己嫌悪です。
冠婚葬祭でボロがでると言われるように、自分の結婚式で色々とボロがでまくり…お祝いをいただいた時や、内祝いでも失敗し…普段でも非常識な事、マナー違反な事を多々…色々ネットなどを見ていると、これマナー違反だったんだと気づく事が今になって多くあります。ちょっとした事、簡単な事もできていない…今になってあれはないなと自分でも思う事が色々ありすぎます…
今までの常識しらずな自分がとても恥ずかしいし、情けないです…どれだけあまりに甘えて生きてきたのか…私に今まで色々と関わってくれた方達に、不愉快な思いを色々させてしまっていると思います。無礼な事をしてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいです。非常識な人間だと思われていても仕方がないです。
何であの時ちゃんとできなかったのか、後悔ばかりです。今から挽回できるかなと思う事もありますが、もうその方達と関わりがなくもうどうしようもできない事もあり、引きずっています。こんな私でも付き合いを続けてくれている友人達には感謝です。
こんなどうしようもない私で家族に申し訳ないし、こんな私がこれから幸せに暮らしてしまっていいのかとも思ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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過ちを許さないのは神でも仏でも相手でもない
拝
読ませて頂きました
仏教では過去の過ちを懺悔(さんげ)と申しまして
それはキリスト教などの神に許を求める懺悔(ざんげ)とはおおきく違います
我々は過ちを悔いる事を良しとしません
いくら悔やんでも
仏様に許しを求めても
己自身は何一つ変わりようがない
本質を捉えなければいくらも悩みは消えないという事です
私達にとって
失敗を見つめ
今までの自分が如何に無知であったかに気づく事は出発点でしかありません
更に礼を考察していくと
礼とは相手を敬うことが基本である事にきがつきます
他人に基準を任せた常識とは問題への取り組みへの主体性も変わってきます
さて、冠婚葬祭にしても日本全国本来様々だった常識はインターネットによりガイドラインが引かれたようになり形は整った様に見えますが
本当にそれが大事な事なのかよく考察してみる必要があります
それさえ守っておけば大丈夫というものでもありません
物だけしっかりあげても
心を尽くした相手に対する敬いの気持ちや言葉の方が遥かに大事なことに気がつくはずです
ですから本質的に1番考えなければならないのは過去の解決しない問題ではなく
家族を含め今向き合っている人達に最大限の敬いの気持ちを持って接しているかという事が今の貴女の苦しみを救う唯一の鍵なのです
更に、仏教では何より過去に囚われない事が大事です
過去を蒸し返して悩むのは馬鹿らしい行為と見定める事です
誰しも生きてれば問題だらけですよね
ですから正しい考え方を覚えなければなりません
過去の問題の正しい考え方とは
「悩んでいる」ではなく
「問題解決に取り組んでいる」
状態です
1番大事なのは常に今
学ぶことをやめず
今にしっかり実践できているならば
そこに後悔の入る隙などない
間違いの種は自分でいつも蒔いているゆだんです
ですから己の心に油断しない事です
さてここまででおわかり頂かましたでしょうか?
過去を許さないのは誰でもなく貴女自身であり
許せないのは貴女がその問題に対して無力だと思っているからです
裏を返せば貴女は理想は完璧でありたいと思っているほど高い
でも理想には追いつかない
それは当たり前です
みんな人間
完璧な人などいないのだからね
これも同じ自分が大した事ない事に気がついてからがスタートなのです
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
心が軽くなりました。過去の解決しない問題に囚われてばかりではいけない。過去を蒸し返して悩むより、今向き合っている人に感謝し、敬いの気持ちを持って接していきたいと思います。