住職の方から傷付くことを言われました
初めまして。
お寺のこと、お坊さんのこと、あまり詳しくないため的外れなことを書いていたら申し訳ございません。
今年の1月に祖父が亡くなりました。
百か日法要の際、親族が集まる中、元気にハキハキとお坊さんはこう仰いました。
「いやー妹さんは美人でスラッとしてる!お姉さんはー…残念だけども!」
この言葉を聞いた時、私は呆気に取られてしまいました。
ただ目の前のお坊さんは楽しそうにそう仰っていたので、つい愛想笑いで返してしまいました。
私は間違いなく怒るべきでした。
その場の雰囲気に流されて愛想笑いをしてしまったため、お坊さんもそれが悪いことと分からず今後も同じことを繰り返すのだと思います。
残念と言われた事がずっと頭から離れません。
かといって綺麗になるため頑張ろう!と思っても、次にそのお坊さんに会った時「自分の一言で変わった」と思わせるのも癪です。
次は一周忌でそのお坊さんと会うことになります。
また見た目をからかわれるかと思うと、行きたくないと心から思います。
またそ思ってしまうことを祖父に対して申し訳なくも思います。
こういうお坊さんにお灸を据えるにはビシッと言うしかないですよね。
ただ今後付き合っていく親族に対してお坊さんからのあたりが強くなっても困るし…でも私は傷付いたし…と考えがまとまりません。
私一人が我慢し続ければ丸く収まるのだなという考えに悲しくもなります。
私はどうしたら良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「残念です!」 ホントにそのお坊さん…
もう本当に『残念』です…そのお坊さん。ちょっとそれ以外の言葉が見つかりません。
そんな「残念な」お坊さんに、「念を残して」はなりません…念を残さないことが一番です。そしてそんな残念なお坊さんに怒る必要はありません。目も合わせる必要はありません。そういった人種は忘れてしまいましょう。
そして、一つだけ伺いたいのは『かといって綺麗になるため頑張ろう!と思っても』…とおっしゃっています。その点はどうなのでしょう。坊さんへの念は残さないこととして、あなた御自身は御自分をどう思っていらっしゃるのでしょう。坊さんなんか全く関係ありません。ただ御自身は今以上に綺麗になりたいお気持ちがおありなのでしょうか。
もし、そのお気持ちがあるのなら、その為の努力をなされることを応援致します。
そして、お祖父様の一周忌において、もしお坊さんから「あら~お姉さん綺麗になったねえ」と言われたらどうでしょうか。その時の御自身の気持ちを想像なさって下さい。「正直、嬉しい」のか「ばかやろ。ふざけんなよ」なのか…。
いえ、どっちの気持ちでも良いし、両方の気持ちがあっても良いと思いますよ。
大切なのは、残念な方と同じ舞台に上がらないことです。やらせておきましょう。言わせときましょう…あなたの人生には関係の無いお方ですからね。
それより、あなたが今後どう生きるかが大切です。綺麗になろうと努力するのも良し、また外見では無く知性や経験を積み、御自身を磨くも良し…です。
どうですか。ある意味、このお坊さんはあなたに一つの転機をもたらした存在とは言えませんか。その意味で「残念な人ではあるけれど、自分に考える機会を与えてくれた。その点では感謝しよう」という思いに至れたら、あなたは素晴らしいお方です。
あなたは思いを残さなくていいのです…ただ、「今度は何(くだらないこと)言うだろうか」と私などは一周忌でのそのお坊さんの発言に興味があります。
いずれにしても、どうか大切なお祖父様一周忌には必ずご参詣下さいませ。
お祖父様が仏様としてあなたを支え導いて下さっていることを、御法事に於いて今一度有り難く受け止めて下さいませ…。
今後の被害者を作らないために
こんにちは。
あなたの悔しいお気持ちを察します。
本当に言語道断です。
私は、関西人ですが吉本新喜劇が好きではありません。人の顔の特徴や美醜をいじって笑いを取るというその考え自体が大嫌いだからです。
親戚等がいる中で、恥をかかされるようなことを言われた屈辱。この思いに加え、「その場の雰囲気に流されて愛想笑いをしてしまった」という後悔もあるでしょう。屈辱と後悔、二重の意味でやりきれない思いを未だ抱え続けているのだと思います。
「こういうお坊さんにお灸を据えるにはビシッと言うしかない」という気持ちはわかります。もしあなたが、その思いを消せないのであれば、そのお坊さんに言ってみてもいいと思います。ただ、その際は少し留保してほしいことがあります。
第一に、善意で指摘している、というスタンスをとること。
あなたは、「お坊さんもそれが悪いことと分からず今後も同じことを繰り返す」と書いています。その通りです。第二、第三の傷つく人を作らないためにも、指摘するのは負の連鎖を止める意味で大切です。
しかし、それはあくまで今後の被害者を作らないためです。
「お灸を据える」という復讐のスタイルではなく、世のため人のため、そしてお坊さんの将来のために指摘してあげる、という方法をとると相手も受け入れやすいでしょう。
第二に、相手を見ることです。
忠告を忠告と受け取る相手かどうか、です。
プライドばかり先行して絶対に異を唱えるものは許さない人、或いは他者が傷つくという感性にあまりに疎い人であれば、これはあきらめた方がいいです。あなたが落胆するだけになってしまいます。そのお坊さんを日頃から知っているお身内とよく相談してみましょう。
第三に、「今後付き合っていく親族」と相談した方がいい、ということです。
一番主になって応対する施主、そして周辺のご家族と話してから決めた方がいいです。単独での行動は、逆にあなたの立場に影響することも考えられます。
いずれにせよ相談をしながら、ご自身で相手方と冷静に対話できるかどうかを見定めてみてください。
あなたの言っていることは、間違っていませんし、正当です。
それだけはお伝えしたいと思い、書きました。
お大事に。
綾小路きみまろ気取りのウケ狙い
綾小路きみまろさんの毒舌漫談ネタのように笑いを取れると思って、ウケ狙いで言ったのかもしれませんね。
綾小路きみまろさんの講演の観客は、最初から毒舌だとわかった上で、わざわざお金を払って綾小路きみまろさんに悪口を言われるのを楽しみに来ています。
そのような信頼関係がなかったら怒り(傷つく)が生じるわけです。
私は娘から「ハゲ」なとと罵られますが、娘に言われても傷つかないのは信頼関係があるからです。
お坊さんや政治家など、人前で説法や講演をする機会が多い人は、自分が聴衆全員から信頼されていると勘違いして失言してしまうのかもしれません。
実際には全員からは信頼されていないし、政治家などは、自分の支持者相手にウケ狙いで言ったことがメディアを通して聞いた第三者から批判されたりします。
私もお坊さんの一人として、気をつけなければと再認識させていただきました。
一方で、仏教では怒りはストレスの原因であると考え、相手に慈悲の心を持つ方が自分自身の気分が晴れると考えます。
その住職を「単に笑いをとりたかっただけの愚かだが可愛いオッサン」だと、暖かい慈悲の眼で見ることができれば、あなた自身が幸せに暮らせます。
質問者からのお礼
皆さん親身になってくださり本当にありがとうございます。
まず私が思ったことは間違えでは無いと確信できました。
その上で件のお坊さんの事で傷ついていた時間が勿体ないなと思いました。
そのお坊さんと付き合っていくのは祖母であること、言ったところで響かなそうな相手だということを考えます。
愛想笑いで誤魔化して、穴にも入りたい気持ちで目を逸らしてしまいましたが、一周忌で何か言われても目を逸らさず笑顔で見つめ返そうと思います。
くだらない事を言ってるお坊さんを暖かい目で見守ってあげている、位の気持ちで、頑張ります。
ありがとうございました。