気にしすぎやあがり症のPTA役員
こんにちは、私は極度のあがり症、他人を気にしすぎて落ち込んだりくよくよする、コミュニケーションを取るのが苦手な人間です。
なので極力外に出ず家で一人で過ごすことが楽なのでひっそり平和に暮らしていました。
しかし学校のPTA役員を必ず引き受けなければいけない地域なので人前に立たなければいけない場面がでてきてしまいました。
そこで相談なのですが、役員になったことは変えることができないので受け止めますが
どうしたら、他人に変わり者ではなく普通に見られるのでしょうか?
そして、気にしすぎや落ち込み癖を少しでも楽にできるようにするにはどうしたら良いのでしょうか?
夢に出てくるぐらい辛くて前日は眠れません。
私の役割は子供たちの前で話したり指導することなので他人はもちろん、自分の子供の前で恥をかけさせたくないのです。
どうかアドバイスをよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
たくさんお話しして下さい…経験値を上げて下さい。
僧侶は多くのお方と会い,話をします。またかつて御通夜の場で何百人もの方の前で御法話をした経験もあります。
だから、人前でもあがらない、どこでも平気…なわけはありません。緊張もするし、また緊張しないのは自らの為すべきことを軽く見ている…自らの務めに向き合っていない証拠だと思っています。
かつて対面恐怖症になりました。「いけない。顔がこわばってはいけない」と思うほどに、一人の方であっても対面する私の顔はこわばり、汗が噴き出してきました。
しかしながら、今は顔面が強張ることは無くなりました。
結局は経験なのです。恥かいて、汗かいて、経験値を上げるしか無いのです。
これは「緊張」ということだけでなく、勉強・スポーツ・芸術等 人間の全ての活動に共通することではないでしょうか。
人前に立って話すならば、話しの内容を前もって考え、それを暗記し、家族にも聞いてもらって…という「経験」を積むしかありません。
それを面倒がるとあがることを克服できず、話すことが苦手だという意識が脳にこびりついてしまい、それっきり人前で話すことは止めた…となります。
私などは、人に はっきりと「あなたは早口で何言ってるか分からない」とも言われましたが、立場上、法話をすることから逃げるという選択肢は無かったため、そのまま続けてきました。
今でも私は話が上手ですなんて口が裂けても言えませんが、ただ何十年も法話を続けているうちに「話をしながら、同時に次に話す内容を考えることが出来る」ようになってきました。…人間の脳みそはスゴイなと思います。そうなると、話に詰まってしまうことはぐっと減ります。
とにかく、上手に話そうと思わず、でも「一生懸命話そう、話を聞いてもらおう、いやこのことは子供達にどうしても伝えたい」…そんな思いを持ち続けて下さい。
お話しが上手だと言われるお方は、必ず経験を積んでいます。そして間違いなくそうなるまでに、たくさんの「恥」と「汗」をかいています。
あなたはどうなさいますか…。
あなたの楽しい、また為になるお話を待っている子供達がいます。
仏様もあなたのお話を楽しみになさっておられますよ…。
質問者からのお礼
言葉の一つ一つ噛み締めながら読ませていただきました。
心から感謝の気持ちが溢れ出します。
恥や失敗をする事は経験値であり、決して無駄にならないこと。
これから恥や失敗をしながら経験値を少しでも貯めて、これからの人生の視野を少しずつ、焦らず広げていきたいと心から思いました。
本当に本当にありがたいお言葉、ありがとうございます。