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回顧主義の人との接し方

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親族が非常に強い回顧主義です。
「昔のモノが好き」という事は別に良い事だと思います。ただ、すべてにおいて「昔は良かった、それに比べて今のものは…」と無条件に古いモノを上げ新しいモノを下げる思想に我慢できません。

私自体が新しいモノ好きである事、試す事が好きな人間である事もあってか、無条件に新しいモノを下げる思想が癇に障ります。
新しいモノにも古いモノにも一長一短があり、時代とともに求められるものが変わっていく。試す事は良い事(もちろん時には戻る事も大事ですが)という考えが私の中にあり、古いモノは素晴らしく新しいモノは劣化しているという考えを聞くと自身の考えを否定されているように感じます。

関わらなければいい、気にしない様にしたら良い、他人の好きな様に思わせておけばよいと思いつつもイラついてしまいます。
どうすれば心を乱されないようになれるでしょうか。
ご教授・ご説法いただけますと幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

回顧主義だと思っている時点でカブレているとおもいました。

その主義や思想、あなたがそういう意見に同調して他者批判するその由来はどこか?自分はひょっとして誰かに妄信・乗せられていないか?をよく見る。
名目より、事実で結果的にその思想圏内の中枢や権力者として誰が実権を握っているのか?
それも知らずに世間知らずの無知層は、流行第一主義で自分たちこそ最先端・最前線だ♨という恥ずかしい妄想・迷信に浸って日本が保持してきた独自のカラーを失わせることに加担させられいることにも無自覚。
みんな我こそは最前線・最先端と思っていますが、中枢の人は心底世界から尊敬されている人か?その組織の金の動きも知ることは大切です。
ニセ・嘘の美辞麗句で結果も出していないのに、古きを否定していないか。
現代人は時代の流れ・流行名目で誰かの利権の流れを生み出すことに加担させられている。では、それで本当にみんな幸せ?といえば、その人たちは大体いつも誰かと対立している。例:日本に移り住んで日本の権益をパクり日本人をこき使っているブラック企業の反日&日本ヘイトの隣国民は「多様化、多様化、多様化!人権、マイノリティ保護、弱者に人権を!多様化、多様化!日本の日本色などダサい、古い、カッコ悪い!差別だ、ヘイトだ!日本に移り住んだ人たちに失礼だ、日本色を出したら他国から移り住んだ人がかわいそうだ!」というウソで日本人を侵略しています。宗教業界・坊さん業界もおぼっちゃんが多すぎてそれすら知らない。
人類の歴史も先住民族を滅ぼし・乗っ取ってその国の良さを奪っている連中の手口。お人好しな影響されやすい「我こそは先進主義(かぶれ)民」を騙してその国が保持してきた大切な精神や歴史を否定。それは国外勢力が優位に立つために世間知らずの無知層・情報弱者を騙す為です。
それを知らない人たちは善意を利用され彼らの手口に騙されている。その証拠に世間のウソ人権で弱者擁護&権利取得の工作活動があるのに正されない。その現実を知らない無自覚で騙されやすい人たち=カブレやすい人=DUPES=左翼・改革者=リベラル民は他国文化を破壊する人たちに騙されている事を知らず文字通り知らぬが仏。あなたが否定する解雇主義とは異なる利便性・スマート主義、改革・革新主義のその最終的なゴールと本当の「誰得」はどこの誰か。
その指導者、扇動の中枢はあなたも含めどこの国の誰かで発起人は誰か。どこに所属する人間で本当に誰か?

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自分の好きなものにプライドを持ってしまう

私達には欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩があります。
怠けの煩悩があるので新しいものを憶えることが面倒くさくなったりします。
また、プライドの煩悩があるので自分の好きなものを誇らしく思ったりします。
あなたの親族はプライドを主張しているのかもしれません。
つまりは、あなたに「すごい!昔はそんな物があったんだね!初めて知ったよ!」と喜んで褒めてもらいたいのでしょう。
だから、あなたの側から積極的に先手を打って褒める(攻撃)をしましょう。
守る(受け身)よりも攻める方が楽ですからね。
親族はプライドが強いので、もしその人が新しい物を持ったら(たとえば最新のスマホを持つ)、今度はそれを自慢する可能性があります。
古いとか新しいとかよりも、要は「自分は素晴らしい、自分の知識も素晴らしい」と思いたいだけなのかもしれません。
それは老若男女誰にでもある煩悩なので、お互い様だと、温かい慈悲の眼差しで見てあげましょう。
もちろん、あなたが好きな物についてアピール・プレゼンするのは良いです。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

コメント頂きありがとうございます。
守るのではなく攻める、しかも褒めるという形で。
非常に勉強になりました。参考にさせて頂き、是非今日から実践してみようと思います。

また、なるほどなるほどと読み進めていて、ふと感じました。
願誉浄史殿にご指摘頂いたプライドの煩悩は私の中にもあるのかも知れません。
「新しい物」、「それを試す事」が凄いんだ!という気持ちが相手の主張を攻撃や否定と受け取ってしまう原因なのではないか、そう思います。
自分の主義主張はあくまで個人の主義主張に過ぎず、それに反する意見も沢山の意見の中の一つ、と受け流せる人間になれる様、精進していこうと思います。

ありがたいコメントを頂いた直後に衝撃ですが、お坊さんにもネトウヨ(?)と言いますか、ヤフコメに居そうな方っているんですね。
丹下さん、南無です。拝

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ