過去に犯した過ちの罪悪感との向き合い方
以前はこちらのサイトでの質問に答えていただき、ありがとうございます。
今回質問させていただくのは、タイトルの通り過去に犯した過ちの罪悪感についてです。
以前の質問から時間がたち、現在大学1年生になりました。反省し、人を傷つけないようにと努力して生きてきたつもりです。
ですが、過去に犯した過ちは消えず、その罪悪感は消えません。
私が小学校高学年か中学生のころ、友人の妹(当時保育園~小学校低学年だと思われます。)の下半身(局部のあたり)を服越しに触ってしまったことがあります。
このことが本人のトラウマになっていないか、覚えていなかったとしても、なぜそのようなことをしてしまったのか、と罪悪感に苛まれます。
友人などと話しているときにも、自分はこの人たちをだましている、という気持ちが消えず、何か新しいことを始めるときにも、こんなことをしていていいのか、と思ってしまいます。
良心の呵責に耐え切れず友人や恋人、母親に話すこともありましたが、反応はどれも最低だね、という旨のものです。自分の罪を見つめなおすきっかけにもなったと思っていますが、それと同時に誰かに慰めを求めていたのだと思います。自己中心的な考え方だった、と思います。
抽象的な質問で申し訳ないのですが、今後私はどのようにこの罪悪感と向き合って生きていけばよいのでしょうか。一生この罪悪感と向き合って過ごしていくことが正しいことなのでしょうか。本人と会って話すことは考えていません。いまさら言われても傷つくだけだし、トラウマになっていなくてもそういった行為があったことを知ってしまう原因にもなると思います。(といっても、結局は本人が知らなければいい、という自己中心的な考えですが)
今更どうすることもできない問題ではありますが、何かこの罪悪感との向き合い方や、今後の生き方についてアドバイスいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 1件
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あやまちや罪を懺悔なさって下さい
拝読させて頂きました。
今あなたが過去に犯したまちがいやあやまちを心から悔いていること、そして良心の呵責に悩んでいることを読ませて頂きました。
あなたがそのように自分に向き合って自分の犯してしまったことを心から悔やみ反省なさっておられることはとても尊く大切なことだと思います。
私達は誰しもが大なり小なり間違いやあやまちを犯してしまう存在です。そういう愚かな浅はかな存在であることを自覚して心から反省する姿勢は人として持つべき心得かと思います。
人によっては間違いやあやまちを犯したにも関わらず嘘偽りや言い訳をして平気でいる人や何ら周りのことを顧みることなく間違いやあやまちを繰り返し犯して人を傷つけている方もいますからね。
あなたがそのようにご自分のことを反省なさって二度と同じようなことをしないようにと心がけていくことはとても大事なことです。
あなたの中でその罪の意識があふれてくるのであればどうかここでもあなたの思いをおっしゃって下さい、いつでもあなたの苦しみをおっしゃって下さい。
それとあなたのその思いを神仏やご先祖様にありのままに告白なさり心から懺悔なさって下さい、そして傷つけてしまったり被害を与えてしまった方に心から謝りましょう。今その被害にあった方に会うこと叶わなでしょうから心の中で誠心誠意その方や神仏やご先祖様に謝って下さいね。
神仏やご先祖様はあなたの思いを必ず受けとめて下さいます。そしてあなたを善き方へとお導きなさって下さいます。そしてこれからはそのような間違いやあやまちを犯さないようにと心から神仏やご先祖様にお誓い下さい。またあなた自身にもお誓いなさって下さい。
あなたのその誓いを神仏やご先祖様はしっかりと受けとめて下さいます。そしてあなたがあやまちや罪をできるだけ犯さないようにと神仏やご先祖様がいつも促して下さるでしょうからね。
あなたの思いは必ず神仏やご先祖様に通じますし、あなたをいつも優しく見守っていて下さいますからね。
あなたがこれからの未来を悪しき考えや言葉や行いをなさらず、人を傷つけずに大切な皆さんと一緒に善き行いをなさり、心から安心なさって皆さんと幸せに生き抜いていかれます様切に神仏やご先祖様にお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
お坊さんの言葉、胸に深く刺さりました。
懺悔することで善き方向に導いてくれるということ、悔いるということについて深く考えさせられました。
罪悪感がなくなるより、この先この罪悪感を元に何をしないべきかをしっかりと考えることの方が大事だと気付かされました。
本当にありがとうございました。