生物を殺してしまったことについて
生物に対する罪悪感で、夢にまで出てくることがあります。
ひとつは金魚です。
家族が知人からもらった死にかけの金魚に悪戯をして、殺してしまったことがあります。
もうひとつは野鳥(すずめ?)です。
出かけた際に、道路の真ん中に落ちていて、近くをもう一羽が心配そうにウロウロしているのを見かけました。
用事があったのでそちらを優先してしまい、帰るときに同じ道を通ったら車にひかれてしまった形跡がありました。
なぜ用事をキャンセルして、野鳥の保護を優先しなかったのだろうと考えます。
両方とも子どもの頃のことで、もうずいぶん昔の話ですが、自分が許せません。
周りの人に話しても、仕方ないとか、私のせいじゃなくて寿命だったと言われます。
『お前が代わりに死ねば良かった』と言ってくれれば良いのに。
私が地獄行きなのはわかっています。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他のいのちに目を向けられる自分を、大事にしてください。
他のいのちに目を向けられる自分を、大事にしてください。
失わないと、気付けないこともあります。
亡くしてから、どれだけ大切だったのか、どれだけ傷つけたのかをようやく自覚することもあります。
私は、あなたを責めているわけでありませんよ。
仕方がなかった… では頷けない あなたを、私はこれからも見守りたい。
じゃ、あの時どうすればよかったのか。
一つ一つの命に、人間はどれだけ大事に向き合っているのか。十分や絶対というものがないから、考えるし悩むのです。
生き物は動物だけでなく植物や、ありとあらゆる自分以外の命。私たちは、そんな命と共に生き、その恩恵の上に生かされてきたのですものね。悪戯に奪っていい命はないのですし、目に留まる「いのち」に対して心揺らせる自分を大事にしていきましょう。そして、どんないのちにも優しさを向けられるように。
その生き物はあなたのために生きてましたか?
おゆきさん、生き物を大切にする気持ちは素晴らしいですね それと同じようにあなたも大切にしてください ご自愛ください
さて、あなたの質問悩みですが、あなたは生命があなただけの原因で生き死にが決まったら、あなたは神様に近い存在です あなたはその生き物が生まれた瞬間から立ち会いましたか?あなたが生命の選択をしてきましたか?あなたが、その生き物がいつ病気になったか分かりますか? あなたが一つの行動で防げるのはその瞬間だけですよ 私の回答も質問者の人生を左右するかと言えばしないかなと思います ただ、偶然に見かけた生き物に袖は触り合えども多生の縁だけですよ その後 あなたがどうするかは長い年月の点の積み重ねしかありません 人は一つの点をいつまでも相手に出来ない 逆にあなたのことをいつまでも観ていられないから、人は生き物は自立するのです 独りで歩み独りで判断する それで最後はあなたが責任を取る だから、自立してください 過ちを反省したあなたはどんな人よりも感受性があります 私はそんなあなたが尊いと思います 私からは以上です
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。