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生きていたくないです。

回答数回答 1
有り難し有り難し 31

子供の頃に虐待を受け、いろいろなことを諦めてきました。
うつ病になっても休める環境がなく有効な治療法を受けられず、
就職したくても自信がなく行動できず、助けてくれる人もなく、
それらが長引いてもう40代です。
ブラックバイトに引っかかり、心身ともにボロボロになりやっとやめ、
就職活動をしていますが生きる気力がわかず動けない。
面接に行きましたがうつ病のことを根掘り葉掘り聞かれ嫌になり、
いくつかの求人に応募しましたが、恐怖で体調がおかしくなり眠れなくなったりしています。
なんでまともな家庭環境が私にはなかったのか。
頑張っても頑張っても報われずにいた子供の頃の影響か、
希望を持つことができず、人を信じることもできません。
うつ病の治療中も希死念慮が消えることはなく、
働きたいと思っていても気力がわかず、普通の人のようには動けません。
いい子でいればいいことがあると我慢していましたが、
希望進路を潰されハンデを背負わせて大学進学をさせられたときに、
心が折れてしまい20才になる前に死のうと自殺未遂をし、
それから生きる意味も分からず空虚なまま、
うつ病治療とアルバイトを続けてきました。
40代フリーターでうつ病。もう生きていたくありません。
このつらい苦しみから逃れたい一心です。
私は何をすればいいのでしょうか。
よろしくおねがいします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どんな過去も今の記憶で今日の只今の一念と見破る。

私は過去、泣きながら生まれてきました。泣いてばかりでろくに話すことができませんでした。生まれた直後、裸で見知らぬ人に連れていかれて、母親から引き離されて狭いケースに入れられて…。生まれてすぐにですよ?おそろしいことです。
毎日おしっこやうんちを漏らしながらの生活でした。自分でもどうすることもできない日々を過ごしてきました。6歳の頃から人とさほど接したことはないのに見ず知らずの見知らぬ人たちの中に押し込まれ、怖い人や意地悪な人もいるのに…家から毎日毎朝、家から追い出されて冷たく固い大きな建物の中ですごすように命じられたのです。しかも、それが9年も続いたのです!
私の人生を返してください。ああ、私は不幸でしょうか。
さて。
これは実は誰にでも当てはまる文章です。泣きながら生まれてくることは健康の証。生まれたらケースで湿度や温度が管理された中で眠る。毎日誰もがおしっこやうんちをします。6歳になれば学校に行きます。小学校中学校。9年も!( ゚Д゚)
なぜ、このような話を持ち出したのかと言いますと、あなたもわたしも誰もが沢山の過去があって今日がある。
ですが、過去というものは今の記憶。今の想念。今、今日、ここで、令和三年の12月3日にそのことを思い出したというだけとしっていただき、負のループから解脱してほしいのです。
つまり、過去のリプレイ、リピート、リフレインというものは(ここできちんと見抜いてください)、今日、俺が、今、新たに思い起こした、今日の「今」の頭の中の想像や記憶なんじゃねぇの?ってこと。
ここを軽く流さないでください。あらゆる悩みや煩悩も同じです。
過去の経験の記憶、未来の予想の不安。それをやっているのはいつでどこで誰限定か?俺、今、ここ限定。
私も過去において痛ましい経験は豊富でございます。
ですが、上記のことを坐禅やら仏道修行という己を見つめて、己に騙されなくなる心の修行を通して自分の負の思いから自由になれる方法を見出しました。あなたにもそうなってほしいと思います。そのためにも、過去のトラウマもフラッシュバックもその正体は、今日オレがたった今、真新しく「思い返している自分虐めしているだけ」なんだ!とわかるまで何度も読み返してみてください。
虐待も含め過去の苦しみから救われるには今日から今から新たに心を負の思いで汚さないことが最も効果的だからです。今は最新。✨

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
病院で薬物療法だけでなかなか治らなかったり、
認知行動療法などで認知の歪みなどを
どうにかしようともがいてきましたが、
根本的なところで自分いじめをしていては
良くなりようがないと気づきました。
過去にとらわれていたりフラッシュバックもありますが、
自分の考え方や心持ち次第でどうにかなるのだと分かりました。
自分いじめをやめることをまず心がけ、
少しでも前に進みたいと思います。
本当にありがとうございました。

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