子宮内胎児死亡と診断されました
妊娠17週、年明けに子宮内胎児死亡と診断されました。昨日から処置の為入院しています。
妊娠初期より大量に出血し不安を抱えながらでしたが仕事に上の子の世話にとバタバタしながら過ごしていました。
妊娠5ヶ月に入る前に切迫流産と診断されましたが、出血もおさまりまあ大丈夫そうかなと思っていたら心拍停止していると診断されました。
その後、上の子がふざけてお腹に顔を擦り付けてきたときに確かに胎動を感じ、大丈夫かも!と希望を持ちましたがダメでした。
不妊治療の末6年待った子でした。わたしが安静にと言われていたのに動き回ったから?それともわたしには2人目を望む資格がなかったから?とぐるぐる考えてしまい涙が止まりません。また、処置がとてもつらく遠くで赤ちゃんの声が聞こえるこの病棟でなんでわたしだけ結果が伴わない痛みばかり感じているんだと悔しくなります。
赤ちゃんにはまた何処かで巡り合える様にと環(たまき)と名付けました。
でも、巡り合える様に、ということはもう新しい命を望んでいることになるのかと考えまた罪悪感に打ちのめされています。
仕事にも社会にも戻りたくない、まだお腹の中にいるのに新しい命をもう望んでいる、こんな弱くてずるくてひどい人間にもう一度母になる資格はあるのでしょうか。今は夫と娘以上に望まないほうごいいのでしょうか。
すべてが卑屈な言い方になってしまいますが、回答頂けましたら幸いです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死んだ命じゃない。大丈夫。ちゃんとお浄土に生まれてくれたよ。
どんなに辛いだろうか。
全身で感じながら大切に育んできた命を、亡くすことが。どれほどの重く冷たく、あなたが身に受けながら、一人病室で自責の中 泣いておられるのかと思うと、そばにいてあげたい。
なぜ、あの子が、頑張って生きていたのに。
顔を見て、この手で抱きしめてあげたかった。
ごめんねって、ずっとあの子に謝っているのではありませんか。
誰のせいでもないわ。環ちゃんは、家族に幸せの時間を生んでくれた。大事な家族。これからも。
また巡り会えますよ。
あなたがハスノハに繋がったということは、仏様のご縁を望まれたから。
それはきっと、環ちゃんが結んでくれたものでしょう。仏様の世界に生まれていけるということは、いつの日か必ず遇えるということです。環ちゃんと名付けた願いのままに、それはきっと叶いますよ。
手を合わせ、お念仏を。
私も子どもを亡くしています。
あの子に会える日を待ち遠しく思えるようになれたのは、阿弥陀さまのお救いに出遇ったから。お念仏の日暮らしは、必ずお浄土で会えるからねとの、阿弥陀さまのお救いです。
そのお救いを大切にいただきながら、悲しみを仏縁とよろこべるようになりました。
涙を流す日も、会えるねとお念仏しています。
どうか、自分を責めないで。
一緒に生きた時間を、家族になれた幸せを大切に。
私もこちらから、手を合わせます。
そのそばに、阿弥陀さまに抱っこされた環ちゃんが、微笑んでくれていますよ。
死んだ命じゃない。大丈夫。ちゃんとお浄土に生まれてくれたよ。
南無阿弥陀仏
合掌
命には必ず「生き役」があります。
ほるさん、こんにちは。金剛座寺住職の染川です。
死産されたのですね。お悔やみ申し上げます。
今は健康・医学もすすみ、妊娠した赤ちゃんがほとんど丈夫に生まれる社会になりましたが、ほんの50年前までは子供が丈夫に育つことが難しい社会でした。特に死産で悲しみを背負うのは常に母親です。夫には計り知れない悲しみでしょう。だから母親はその悲しみ、また亡くなった子供を救うために地蔵様におすがりしたのです。
子どもが生まれても7歳までは神様の子供と言われています。まだ自分の子供ではありません。だから七五三をして元気に育つようにお祈りをします。お腹の赤ちゃんがなくなったのは、あなたの責任ではありません。赤ちゃんの今回の生き役は、5カ月間あなたの赤ちゃんとして生きる宿命として神様が使わせた命なのです。仏教では人は向上するために生まれてくるといいます。あなたの赤ちゃんが生まれ、そして死産した事で、母親であるほるさんが子供への愛に目覚めさせたのであれば、素晴らしい功徳を積んでまた仏さまの世界に戻ったことになります。
是非この不幸をご夫婦のあらたな生きる道として捉えて人生を力強く生きてください。それこそが本当の赤ちゃんへの愛情の表現になるのです。そして年に一回は赤ちゃんに感謝して水子供養をしてあげてください。合掌
質問者からのお礼
お二人とも、ありがとうございました。
本日退院し自宅に戻って参りました。
環への罪悪感で打ちのめされていましたが、
環もちゃんと意味のある命だったと、それだけでもう有り難くて。
そして環が染川様と中田様に巡り合わせてくれたこととても感謝しています。本当にありがとうございます。
環の体は無くなっても、ちゃんと暖かいところで抱っこされているのであれば、それだけで、安心です。またいつかどこかで環に逢えますように。