祖母の死
幼い頃に母親を亡くした私を母親代わりに育ててくれた祖母が昨年の年末に亡くなりました
亡くなる約2ヶ月前に末期の癌と診断され、口から食事が取れないので、中心静脈栄養という直接体内に栄養を入れる管を作る為に一度入院しましたが、コロナ禍での入院は最後の時でないと面会出来ない事や、もう治療として出来ることは痛みが強くなった時に痛み止めを使用するしか無い状況でした
祖母の長年住んだ家で家族と過ごしたいとの希望や、私も24時間付き添う事は出来ないけれど出来る限り祖母の願いを叶えたいという思いもあり、退院して在宅で過ごす事を選択し家で過ごしていました
家にいる間は特別な事をする事は出来ませんでしたが約十日間くらい穏やかに家族で一緒の時間を過ごす事ができました
亡くなる3日前になると身体が栄養を吸収出来なくなり、浮腫んだり痰が多くなって逆に身体の負担となっていたので栄養を中止し、また呼吸も徐々に弱く途中で無呼吸も見られるようになり、言葉を発する事、自分で起き上がる事も出来なく、訪問看護の看護師さんから今日明日でもおかしくないと説明を受けました
看護師さんが帰り、祖母と二人きりになり、祖母を抱き締めながら今迄育ててもらった事など沢山の話やお礼を言い、祖母と二人で泣きました
そして次の日には意識がなくなり寝たままとなり、その三日後に息を引き取り、私が看取る事ができました
葬儀も無事終わり、もうすぐ四十九日ですが喪失感や悲しみで毎日祖母の祭壇の前だけでなく、買い物をしている時など様々な場所で祖母との思い出が巡ってきて涙が溢れてきます
とても優しく家族思いな祖母で、自分が癌で食事が食べれなくても家族の食事を作ろうとしたり、私が傍にいると口癖のように、ご飯を食べたか心配してくれる優しい祖母でした
祖母が亡くなった後もっと祖母に出来る事があったのでは無いか、こうしていれば良かったのではないかと考える日々です
知り合いから、私がいつまでも泣いていては祖母は成仏出来ない、世の中には死に目に会えない人だっていると言われました
家族の最後に立ち会えない人も居るのは分かります、でも看取りが出来ても亡くなった事への悲しみや喪失感、後悔の感情は皆簡単には割り切れないのでは無いかと思います
私は祖母を思い出したり泣く事は許されないのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
泣くだけ泣いていいのですよ
はちえむ 様
泣くだけ泣いていいのですよ。
お悔やみを申し上げますとともに、ご祖母様のご冥福をお祈り申し上げます。
合掌礼拝。
哀しみの時期は、人それぞれ。泣くだけ泣いていいのです。
あなたが看取りができたことに、ご祖母はたいそう喜んでおられるでしょう。
安心してください。成仏できます。仏様に成れますよ。
そして、あなたを見守るでしょう。
これまでは、一緒に祈る立場でしが、今度は仏様の世界から、あなたを守る立場になったのです。目に見えなくても近くで御守りしていると思います。
そして、できなかった、足りなかったことを後悔するのではなく。
出来たこと、嬉しかったことを、ご祖母様と共有しながら、
あなたは、いただいた命を、日々生き切って、その人生を味わい、
それをご祖母様のご恩返しとしてできるでしょう。
私はそう思います。
泣いて善いのです
拝読させて頂きました。
大切なお祖母様がお亡くなりになりあなたが深く悲しまれさみしさや後悔の思いがつのっておられることを読ませて頂きました。詳細なあなたのお気持ち全てはわからないですけれども、あなたのお気持ちを心よりお察しします。
お祖母様はあなたと巡り合いあなたのことを心から愛し慈しみ、あなたと一緒に一生懸命に与えられたその人生を幸せに生き抜かれたのではないでしょうか。あなたのことをいつも優しく見守っていて下さっていたのではないかと思います。
お祖母様が心から安らかになります様心を込めてお祈り申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
お祖母様は必ず仏様に導かれ親しい方々やご先祖様方が優しくお祖母様をお迎えなさって下さいます。一切の迷いや苦しみや痛みからも救われて仏様のもとでご先祖様方と一緒に清らかに円満に安心してご成仏なさっていかれます。そしてこれからもあなたのことを優しく見守り続けて下さいます。お祖母様とのご縁は永遠ですからね。いつでもどこでもどんな状況でもあなたのことを見守っていて下さるのです。
あなたのその悲しみやさみしさや喪失感や後悔の思いは消えないでしょう。どうかその思いをお祖母様に手を合わせながら心からお伝えなさって下さいね。あなたのその思い全てをお祖母様はありのまま優しく受けとめて下さいます。そしてあなたに寄り添いなぐさめて下さいます。
いつでもどこでもどんな状況でもお祖母様を思いながら心からお伝えなさって下さい。悲しい時には涙を流して下さい。嬉しい時にはお祖母様を心から思いその気持ちをお伝えなさって下さいね。
人の悲しみやさみしさや喪失感はそう簡単に消えるものではないですからね。ですから人がどう言おうが気にすることではありません。
あなたはこれからもお祖母様を思いながら生きていくのです、お祖母様はこれからもあなたをいつも支えていて下さいます。
あなたはこれからもお祖母様とのご縁の中で生きていくのですからね。あなたがこれからもお祖母様とのご縁を大切になさりながら健やかに成長なさっていかれ、心豊かに幸せに生き抜いていかれます様にと心よりお祖母様に祈っております。
そしてあなたが天寿を全うする時には必ず仏様があなたをお導き下さりお祖母様が必ず優しくお迎えなさって下さいますからね。至心合掌
四十九日忌の次には、百か日忌になります。
母親代わりに育ててくれたお祖母さまとのお別れ、相談者さまの深くお悲しみの心が伝わってきます。お別れはとても辛いものですが、最期のひと時は、かけがえの無い時間を過ごすことができたのですね。
お悲しみの大きさは計り知れなく、何をしていても、涙が溢れてしまう。そんなに悲しまれているお孫さんを見て、成仏されて安らかになられているお祖母さまは「こんなに大切に思ってくれている」と喜ばれているはずです。
大切なお祖母さまを思い出すこと、悲しまれることは、お祖母さま、ご相談者さまにとってとても大切な供養です。
そして、もう一つ大切なことは、お祖母さまに安心していただくことです。ご相談者さまが、この大きな悲しみを乗り越えて、一歩、前に踏み出されていくこと。これは、今すぐにということではなく、徐々に目指していくというものです。
四十九日忌の次の「百か日忌」は、別名で卒哭忌(そっこくき)と言われます。喪に服す49日とほぼ同じ期間が過ぎる頃、悲しみでいっぱいの心から少しずつ立て直して、泣くのを卒業する目安としての日という意味が込められています。
お悲しみは深く、今、そして100日ぐらいでは癒えないものかもしれません。ある意味、ずっと、そのお悲しみとともに過ごされていくものだとも思います。
私がいるお寺、永正寺の先代住職が、「供養は、亡くなられた人を思い出して悲しむことが大事。ちゃんと忘れて元気に過ごすことも大事な供養。両方大切」と申しておりました。
四十九日忌が終わられたら、悲しむことも大切にしながらも、ご自身が楽しいと思える時間を少しずつ増やしていくこと。
新しい一歩を踏み出され、人生を歩まれる相談者さまを、お祖母さまは安心して見守っていただけると思います。
質問者からのお礼
私にとって祖母は特別な存在です、祖母がいてくれたらから、現在や過去、未来の私があると思います
まだ簡単に整理は出来ないし、特に最後に話した日の事は思い出すと涙が出てきます
おそらく今後も一生忘れないと思います
でも、少しずつ受け入れて祖母の為にも忘れるのではなく、感謝しながら進んでいきたいと思います
それが少しでも祖母の供養になる事を願って
貴重なご意見ご回答ありがとうございました