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集団になじめなかった

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 反芻思考がすごく、過去の自分の虚しさ・性格の難・孤独さを思い出し続けてしまいます。認知の歪みではなく、過去があまりにもひどかったから反芻してしまうのだ、という考え方です。この1,2年ほど、試験前でも彼氏と旅行をしていても、常に考えてしまいます。

 24歳大学生でこの春卒業予定です。変わらないクラスメイトと4年間、地方で過ごしてきました。周りは1年生の時から完全にグループに分かれていますが、私はここまで大学がグループに分かれると思わなかった・一人行動が好き・やや短気・同じ人と毎日ずっと一緒にいるのが好みでないなどの理由から、どこにも属せていません。下級生の頃、いろんな人と関わって、その中で気の合う人と会えたらいいな~と思ってたので、よくいろんな人を誘っていろんなことをしました。でも自然消滅といった感じで。それなりに楽しかったし相手も楽しんでくれてたと思ったんですけど、自分が誘わないと何もないし、私以外のいわゆるいつメンでよく集まってるのをSNSで見たり聞いたりして。それに疲れて学外の集まりに参加したり、もともと好きだったソロ活を始めたころに、偶然同じく一人旅が好きな他大学の方と出会い、この1年はほとんどその人(彼氏)か、学外の人と遊ぶか、一人旅を楽しんできました。しかし卒業を控え、クラスの同期同士で旅行している投稿がすごく目につき、いいなー、そういう友達いない自分だめだな~ってなっちゃうんです。大学生活を4年も田舎でして、さらに授業など同じ環境で過ごして(私にはそれが合わなかったのですが)、そんな抜群?の環境のところで友達ができなかったのが、とてもみじめです。頑張ったのにもかかわらず。さらに好きなことが似ている彼氏がいるから楽しかったけど、その人がいなかったら孤独だった...、と考えると、つらくて苦しくなります。先輩や同期のSNSで、充実していた大学生だった、などの旅行や飲み会の投稿を見ると胸がキュッとします。また、昔いろいろな人を誘っていたせいで、喋れる同期や先輩は多いので、ひとり旅の話などをすると「友達いないの?」「え、誰とも遊んでないの?」などと言われて悲しくなります。
ぜひ客観的に読んでどう思われるか教えていただきたいです。気にしなくていいことを気にしすぎですか?(笑)そういわれたい自分がいます。
何をしている時も、これらのことをずっと考えてしまいます。

2022年1月26日 14:07

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

卒業時期の周りのSNSに、気持ちを揺らす必要なんてないと思う

SNSは、知らせたいことを切り取って発信しますから、楽しい、賑やか、充実って映りますよね。そこだけを見て、私は同じようにする友達がいないと嘆く必要はないんじゃないかな。

あなたも別の形で経験してきたのではないかしら。学校の友達限定でなくても、彼がいたり、旅行に行ったり、話せる友達がいたり、あなたの充実時間があったはずです。

SNSのキラキラ投稿=楽しい大学生活、充実した学生時代だと思わなくてもいいんじゃないかしら。

あなたの中で、一人行動が好きで、いつものメンバー行動を見聞きするだけでも疲れていたのよね。だから あなたは、距離を保ってきたわけです。ですから、卒業時期の周りのSNSに、気持ちを揺らす必要なんてないと思うのですよ。

一人行動するから、友達がいないと決めつけられるのもねぇ、ちょっと嫌だよね。
私は、家族がいても、一人旅しますよ。一人の時間が好きだから。

だから、周りの言葉を気にして、友達のいない大学生活だったなんて、落ち込むことはないのですよ。

追記。。。
あなたがね、今の気持ちを回避するために、学生時代に繋がりを密にしていたら、きっと今しんどくなっていたと思うのよ。
友達のように、あれもこれも充実させたように映る生活は理想的なように、周りの先生からの助言で、より一層に強く思うのでしょう。「みんなと同じ事をしろ」「できるだけ学生時代に旅行しとけ」「友達は一生もの」… これは、価値観の押し付けです。
一生の友達は、大学時代のことを言うわけでもありません。学生時代の旅行も、働いてからでも作ってすればいい。大変な職場環境であっても、二度とできないわけでもない。
そんな理屈なら、結婚前に遊んでおけ、子どもを産む前に旅行をしておけと同じ。そうかもしれないし、そうだとも言い切れないんだよ。
彼がいなかったら孤独だった。そうかな?それだったら、あなたは交友関係を充実させていたかもしれない。
全て周りと比べて、誰かの言葉に引っ張られて、自分が歩いてきた道を虚しかったと嘆くのは、残念よね。
あなたが過ごし得た6年間は、無駄ではないのよ。やりたかったと思うのであれば、これからだって機会を作っていけばいい。

私は教育学で、実習とバイトばかりだったわ。数々の国家資格取得のために必死だったけれど、自分が歩いてきた道を否定したくないの。あなたにもそうであってほしいわ。

2022年1月27日 1:26
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

中田三恵さま
 お忙しい中、回答くださりありがとうございます。ハスノハで何度も中田さまの回答を拝見しておりましたので、私の悩みにも答えてくださり嬉しいです。
 そうですね、別の形で楽しんできたことはあると思います…。しかし、周りの人は、友人、恋人、クラスメイト、一人時間、どれも楽しんでいるのです。大学生活を6年も田舎でして(すみません、医大で6年なんです)、医療系という性質上ずっと授業など同じ環境で過ごして、そんな環境のところで友達ができなかったのが、とてもみじめです。自分の心の狭さや、無意味につるみたくない、と思ってしまうのが悪いのですが、そのように少しクラスメイトを見下していたら、気づいたらあまりに周りが仲が良く、え、こんな感じなの...?と焦りはじめ、孤独を感じ始めたといった感じです。周りの研究室畑や国際系の大学出身の方には、この医大っていう環境が特殊だよ~いい年でべったりしすぎだよ~、大学合わなかったでいいじゃん、と言われますが、もう24歳で、6年間も費やした大学が合わなかった、と言ってしまうと、自分の人生...となってしまいます。考えすぎでしょうか。
 また、私はひとり旅するくらい好奇心旺盛なのですが、やっぱり周りがなかなか一人ではしにくいこと(今はコロナ禍ですが、ちょっと危険な海外に行く、数人できれいな格好をして写真を撮る、アウトドアをする、など、)を楽しんでいるところを見ると、自分は若いうちにしかできないことを、友達がいないからこそ全然経験できずに終わってしまったのではないかと悲しくなります。また医大という性質上、試験合格が目標なので、また社会人になるとかなり忙しいので、先輩にも先生にも、「みんなと同じ事をしろ」「できるだけ学生時代に旅行しとけ」「友達は一生もの」と言われてきました。それをしてこなかった自分、大丈夫なのか…と。先輩とか友人に会ったとき、卒業旅行の話出たらどうしよう、などと勝手に卑屈になっています。また、このような状況だからこそ、また趣味が合うからこそ、かなりのことを彼氏としてきましたが(それはもちろん楽しいし幸せを感じます)、だからこそ、彼氏がいなかったら一人で何をしていたんだろう自分...とまた考えだし、結局私は彼氏に依存する女なのか、と自分を責めてしまいます。
 大きな試験が1週間後なのですが、こんなことをずっと考えてしまい、ほとんど食事が手につかず、また勉強も全然進みません。ぜひ同性で年齢が上の中田さま、狭い視野に捕らわれている私に喝を入れてください…。乱文失礼しました。

中田三恵さま
 重ね重ねありがとうございます。
 「全て周りと比べて、誰かの言葉に引っ張られて、自分が歩いてきた道を虚しかったと嘆くのは、残念」、本当ですね。すべて周りと比べてしまっていますね…。私は、なんでも羨ましく思ってしまう、大人数が苦手な自覚があるのに大人数での集まりがうらやましい、なんで誘われないんだと悲しくなってしまう、などの性格があるので、そこをまず直して、自分がしたいことをしようと思います。闇の部分にばかり目を向けていますね。また、価値観をずっと押し付けられていたことにも気づきました。自分も人には気を付けようと思います。
 彼がいなかったら交友関係を充実させてた、については、大学生活4年間気軽に誘えあえる人がおらず、一人であちこち行くのが寂しくなった時に、学外の集まりに入りました。そこではいつも一緒に友人といなくていいし、やりたいことが一致したときに気軽に一緒に行動できるので、居心地がいいです。自分にはまだ根強く、そのサークルに入る前の孤独さや、一人で行った場所に後日仲いいと思っていた同期たちが大勢で行っているのを見たり聞いたりしたときの寂しさを鮮明に覚えているので、素直に受け取れません…それとも交友関係とは、学内に限らなくてもいいのでしょうか。(そのサークルの友人は社会人が多いので、旅行などはいけないのですが…。)彼がいなくても同期に仲のいい友人ができていたとは思えません。周りを気にせず一人を楽しもうと思い、SNSは去年消しましたが、結局雑談などで旅行の計画ややった集まりの話は耳に入るので、ダメージを受ける機会はあまり変わりませんでした。
 さらに、大学で所属していた忙しい部活(居心地がいい場所ではないのですが人数的にやめられず...)がコロナ禍でなくなり、初めて時間がじっくりでき、趣味をつくろう、学外の集まりに参加してみよう、と思え、居心地がいい場所に出会えましたが、もしコロナが無かったら大して好きでもない部活動に長い時間を割き、毎日同期の楽しそうな様子に悲しくなっていたのか、と、もしもあのときああだったら、を繰り返し考えてしまいます。でもそれほど、いまの唯一居心地がいい場所、彼に会えていなかったら、と怖くなるのです。
 悩みを全て書いてしまいました。中田さまにはお子様がいると思うのですが、もし自分の子供が友人があまり多くないタイプでも、一人や趣味を楽しみ、きちんと就職すれば、特に心配はしませんか?この年まで親に学費を払ってもらったのに、学生生活楽しかった!といえないのが申し訳ないです。 
 ネガティブなことばかり書いてしまい、申し訳ありません。
 

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