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俗名で供養するのは間違いでしょうか

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2週間前に母を亡くしました。
いざ葬儀の際、父は菩提寺もなく檀家でもない、お墓も持っていないこと(父は次男で実家から距離もあるので)、私が生前の母とテレビを見ながら「戒名は何十万もして高いし、私はこのままでいい。お墓も高いから…」と話してたこともあり、俗名のまま、宗派も決められないので葬儀屋さんからそれでも読経して頂けるお坊さんを呼んで頂き葬儀を行いました。

2月末には四十九日ということになりますが、その前に悩んでいるのが、
このまま俗名で供養できるのか?ということです。

母の言葉通りであるなら、戒名は不要なのかもしれません。
私自身も、母と同じ考えで自分に戒名は不要だと考えているので、母の気持ちは理解できます。
ですが実際に母が亡くなって、しっかりと供養してあげたいと考えるようになったことで、白木位牌から本位牌に代わる際、俗名のままでいいのだろうかと不安になりました。
家族は、母がいらないと言ったならつけない方がいいのではないかとも言います。

心配なのは、
俗名のまま、本位牌を作成して開眼供養して下さるお坊さんはいらっしゃるのかどうか
葬儀は読経して頂けたけれど、宗派もわからぬまま四十九日はどうしたらいいのか。

お恥ずかしい話です。
全く仏教に関する関心や信仰心等無かったのに都合がいいかもしれません。
自分にとっていい部分だけ切り取ってすがろうというのもばち当たりであるとも思います。申し訳ありません。

2022年1月27日 9:06

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心温まる血の通ったちゃんとしたご供養にするために

ご参考までに。
まず仏教において戒名・法名を授かるということは、ご本人さまが宗教心・菩提心をおこして死後もこの世に良い心が続いていくように、と誓願を起こして出家して仏弟子になるということなのです。あるいは、生前には縁がなかったけれどもご遺族の意向で先祖・先人方と同じように仏の位に入っていただいて、死後も私たちを導いていただき、見守っていただく仏さまになっていただく、尊厳を敬いお祀りするということなのです。俗名というのは俗世の価値観を保持し続けるという姿勢ですので、人間様が一番偉い、人間のルール、人間サマの都合が一番の法則、人間のルールでやろうとする無神仏の姿勢です。お金をかけたくない、頂戴したものは社会に還元したくない、宗教心なんて不要だということであれば無宗教でも良いのです。(選択の自由)葬儀の際のお布施も企業にお布施しても社会に仏法の救いの作用は還元されない場合もあります。それは企業への支払いだからです。きちんと宗教活動をしている宗派・お寺さん、宗教者、お坊さんにお布施を浄財として「寄進させていただく」ことで天地自然から頂戴した恩恵をすべてわがものとせずに「還元する・お返しする・浄財として寄進して僧侶たちにこの世の中の苦しむ人たちを助けてもらう活動に貢献させていただく(宗教活動に貢献させていただく)」という気持ちで「お納めする」のがお布施というものであって、葬儀料や戒名料ではないということを知っておいていただければと思います。
キリスト教でもこの世に生を受けて授かったものの数割あるいは数分の1を教会におさめて世の中の善意ある活動に貢献させていただくという形で献金をします。宗教というものは信者様がより良い世の中を作るために世や人の心の浄化・救済の活動として納めて頂いた御浄財によって成り立っているものですから、料金を払っているという感覚も一度見つめなおして頂き、亡くなられた方の人徳、功績、功徳を神仏の叡智、苦しみを救う法薬、やさしさを広める活動のお手伝いをさせて頂くために納めるという風にとらえて頂ければ有り難いです。
よって、形式や儀式や建前としてカタチの上で事務的に行われないように進めることこそが大事なのです。お戒名も事務的ではない信頼できる僧に授けていただき、ご供養、ご教導、お導きをして頂くようにお願いすれば、むしろ故人様もご遺族もご安心なさると思います。

2022年1月27日 12:11
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

丹下覚元 様

御礼が遅くなりまして申し訳ありません。
母は決まった宗派の読経をしたりといったことはありませんでしたが、寺院仏閣に詳しく、ぶっちゃけ寺も大好きでよく見ていたので、書いて頂いたことを知らないとはとても思えません。
母が望むことは今となってはわかりませんが、恐らく経済的な理由だけを挙げていたのでしょう。そうなのであれば、やはり戒名を戴き、これからも私たちを導く仏様となってもらいたいと思います。

葬儀で宗派もわからない私たちに読経を引き受けて頂いたのは曹洞宗のお坊さんでした。その後、父方の実家が曹洞宗であることがわかりました。
私が最後に訪れたお寺も、福井県の永平寺でした。
覚元様も曹洞宗のお坊さんでいらっしゃるとのことで、何か強い縁を感じております。
宗派をどうしていいかわからず、戒名も後になってしまいましたが、母には曹洞宗の戒名をお願いしようと思っております。
この度はありがとうございました。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

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