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正しすぎる父

回答数回答 3
有り難し有り難し 26

こんにちは。
いつも有難いご回答拝見しております。
今私も悩みを抱えているのでご相談させていただければと思います。

実家の父についてです。
私は数年前結婚を機に実家から少し離れたところに越してきました。
そして最近妊娠したことがわかりました。まだ一般的には報告するタイミングではないかも知れませんが、持病もあり流産(入院し手術しなければならない)のリスクも少なくなかったため両親へも報告しました。
「流産になったら迷惑をかけるかもしれないので…」と伝えると、父は「流産から守ってやるのが親の役目だ」と言いました。
その時は「わかりました」とだけ伝えて会話を終えました。

その後つわりも酷くなり、食べられるものが限られてくるようになりました。母に「なかなかバランスのよいような食事が食べられない」と伝えると、母は「つわりだから仕方ない」と言いました。
その後そんなやりとりがあったことを父にも伝えたようで、父から直接連絡がありました。
「胎児によくない、塩分を控えて質の良いタンパク質を摂るように」と言われました。
父は医療関係の仕事をしているので、正しいことを言っているのは100も承知です。
そうでなくても昔から正しい人でした。
私や兄弟の正しくない部分を見ると手をあげることも少なからずありました。
ただいつも正しすぎて辛くなります。
正しくなれない自分は出来損ないだと言われているようで苦しくて仕方ありません。
昔はそう思った時に本人に直接ぶつける事もありましたが、まったく理解してもらえず家族も私も父に理解してもらうことは諦めています。
今はなるだけ関わらないようにしていますが、そうもいかないタイミングもありその度辛いです。

暴言を吐かれる訳でもなく、幼い頃のように手をあげられる訳でもありません。
でも父と接することが苦しくて、そんなことを考えていることがとても親不孝しているみたいで苦しいです。
父もひとりの人間だから当たり前だと理解すべきでしょうか?
私が父に理想を押し付けすぎていますか?
どう思って父と接すればいいかわかりません。
率直なご意見を頂けますと幸いです。

2022年1月29日 19:03

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

“正しい”とはなにか

“正しい”とは難しい言葉ですよね。
一つのことを“正しい”とすると、その他全てが“間違っている”ように思えてしまいます。

ただ、“正しい”というのは、スタートとゴールをまっすぐ結ぶことに似ています。
ゴールが間違っていれば、そのまっすぐは役に立ちません。
あなたが“母子ともに無事に出産を終えること”をゴールとするなら、お父様の言葉は全く正しくありません。
何故なら、当事者のあなたがストレスを感じているからです。
表面の理屈が通っていることだけを“正しい”というのではないのです。

相談文を読む限り、あなたのお父様は“正しい”のではなく、“理屈意外に融通が利かない”のです。
“正しい”・“正しすぎる父”という言葉を選んでしまえば、それを聞けないあなたが“間違っている”という形になってしまいますが、“融通が利かない”父の言葉を聞き流すのであれば、当たり前のことでしょう。

言葉遊びのようですが、表現を変えれば心が変わる。
それが言霊という考え方です。
試してみませんか?

2022年1月29日 19:20
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有り難し
おきもち

けいじょう
日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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真の正義は実は最後の「〇〇」を加えないままに提供されている

たとえば医療やビジネスや宗教でも、お金お金した銭・マネー最優先主義になると、純粋に最上のクオリティを求めてくる人が🦆カモネギ民に落とし込まれる。かえって薬や処方を摂取するよりも、もっと良い向上方法があるのにトラップに嵌められてしまう。例:薬なんて要らんのに数か月薬漬けのリピーター
なにが「正しい」か。どうすることが「正しい」か。正しさにもクオリティあり。
それはその相手の自称「正しさ」を受けてさらに「どう」善導するか。
坐禅会で効かない薬を15年以上処方されボロボロになっちゃった人がおられました。治すべきは本人の心の生活習慣なのにそれを薬で治すのは「正しい」ようで本当は違う。本人の生活習慣が変わらないまま薬依存は「正しくない」処方です。
お金集めと票稼ぎの自称宗教団体も「我こそは正しい、我こそは真実だ」と妄信者に主張する。スベリまくりコケまくりのダマしまくり活動家ですらも「正義・正しさ」を主張・自称するでしょう。
近所に産地偽装の疑惑のお店があります(笑)が、知っている人は皆知っている。
わからな人はわからない。本質を見抜いた上で賢い庶民たちは黙っている。正しい?お店はこうしないと町の人が買ってくれねーから産地偽装表記。正しい?
どこの業界にも「正しさ」という人生経験上の正義の法則という武器が「これがよい・これがただしい」というカタチで用いられています。それはそれなりに洗練された正しさ。ですが、絶対的正義とは言えない。道元禅師というウソや絵空事が嫌いなロックな王道禅の方は世間のずるがしこいそういうタヌキキツネの正しさも知って、見抜かれた上で「正法」の追求をされている。また、世間の哀しさも弁えておられるから相手に本当のことを説き、上手に伝えるには「完全論破するな」的な立場もとっておられます。人間世界だもの。人間界の世俗の心理、お家の心理、我欲の心理、エゴの心理というものがある。凝り固まった相手をより良い心に向かわせるのに、何でもかんでもド正論では聞く耳持たないからです。故に、正義という構えを捨てる。無為。転(まろばし)。こちらが立たねば相手とぶつかることなし。
お父様のご立派な正義であなたが救われなければ、それはそれで頂戴しつつ、さらに活用して転ずればよい。カレー粉を入れてないカレーだと思えばいいのです。そこから好きなカレー粉を入れてお好みの味付けに。それが親子愛。

2022年1月30日 14:25
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有り難し
おきもち

正しいことばかりでは、確かに息苦しくなりますね。

父親が、毒親のようでももちろん子どもは苦しみますが、正しすぎても苦しんでしまう。人の心の持ちようは難しいものですね。

ひとつひとつの内容が正しいことばかり、お父さま本人が、100%ご相談者さまのためを思い、良かれと思って、とても真摯にされていることも十分すぎるほどわかっている。だからこそ全く付け入る隙がない。息苦しくなってしまう。

ご相談者さまが子どものころから、お父さまの言動は、「褒める」ことよりも「課題」を指摘することで成長を願うというスタイルで、よく言われる「褒めて伸ばすか、叱って伸ばすか」だとすると、叱って伸ばす方に近い子育て方針だった。

しかし、ご相談者さまを含め、人は褒めて伸びるタイプが圧倒的に多いはずで、ご相談者さまの「承認欲求」が充分満たされてこなかったことが、少しずつ積もり積もって、今、何を言われても素直に受け取れない心の状況になっているのかもしれません。

一方、どんなことでも完璧な人は、存在しないはずです。
お父さまは、「常に正解を提示する」父親像を理想として、それが子どもの期待に応える理想の姿として、日々、努力もされているのだと思います。子どもの頃から、ずっとお父さまが正しければ、それが絶対的なものとして感じるのは当然です。

例えば、少し見方を変える意味でも、お祖父さん、お祖母さんに、お叔父さんなどに、お父さんの子どもの頃の話をリサーチしてみたりして、「お父さん、子どもの頃はこんな大変だった」というようなエピソードがあれば、ご相談者さまの「正しい父親」イメージが崩れ、心の重荷がほぐれることに繋がるかもしれません。

2022年1月29日 20:44
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有り難し
おきもち

1971年生。岐阜大学教育学部卒業。医療法人に就職し、医療事務、経理、総務...
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質問者からのお礼

私の拙い相談にご回答くださり、誠にありがとうございます。
お3人様それぞれに心がこもったご回答に心が洗われました。

丹下 覚元 様

新しい家族愛の形をお示しくださりありがとうございます。
自分なりに転じて活用し、私なりの正しさを得られるよう感性を磨きたいと思います。

ご回答をありがとうございました!

中村建岳様

おっしゃられた通り父は昔から頑張って私に示しをつけようと努力していたのだと思います。そもそも祖母がそういう教育をしていたようで、祖母に父が幼い頃の話を聞こうとしたら何故だか逆に私の不出来な部分を説教されて終わってしまいました。笑
なかなか難しいものですね。

父が完璧でない部分知りもっと父を身近に感じるためには少し時間がかかるかもしれませんが、年老いていく父と向き合うことで理解を深めていければと思いました。

ご回答をありがとうございました!

けいじょう様

優しいご回答に心があたたまりました。
私の立場に寄り添ってご回答をいただき大変ありがたい反面、はじめから私はそうやって寄り添っていただきたかっただけかも知れないなと申し訳ない気持ちです。
そんな私の気持ちを掬い上げ昇華していただきありがとうございました。

言葉遊びのような軽やかさで、父の言葉の受け取り方を見直してみたいと思います。
本当にありがとうございます。

「父親のこと」問答一覧

父親との付き合い方

都内一人暮らしの社会人です。 実家との距離はそれなりに近く、ペットに会いたいこともあり、三ヶ月に一度程度帰省することがあります。 仕事を休んでいることや体調のことは伝えていません。 その度に、父親との会話の噛み合わなさに傷つくようになりました。 ・冗談や会話が通じないことが多い。 ・母との会話に割り込んできて、自分が中心にならなければ、会話を中断させる。 ・人に手間をかけさせるな、自分でやれ。と言う割には、一泊二日の入院程度(骨折)に私を呼び寄せ、面会時間がすぎたから帰るねと伝えると、気が利かないなどと怒る。 ・一回り上の男性と交際しているが、そのことに対して「もっとまともな人間だと思っていた」と言われる。 ・親戚との集まりに呼ばれた際に「お前は余計なこと言うなよ」と言われる。 ・大学生時代、アルバイトで貯めたお金で買ったウイスキー3万円分を捨てられた。 ・成人済みでタバコを吸っていたら殴られ、罰則として、門限20時までを設けられた。 などと傷つくエピソードが多かったです。 学費を出して、育ててもらったことには感謝しています。(勿論、伝えています) 私は学費以外を高校生からアルバイトで賄ってきましたが、弟は全て親から出してもらっており、お小遣いまでもらって、優遇されているように感じ、疎外感を感じます。 母とペットは好きで、時折会いたくなるのですが、父との付き合い方はどうするべきでしょうか。 なるべく流すようにはしていますが、それでも傷つきます。

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父との関係で将来実家に戻るか悩んでいる

大学卒業後、実家に戻って就職するか、一人暮らしを続けるか悩んでいます。 現在大学四年生で、人間関係の構築、勉強、バイトが辛くて去年不安障害と鬱状態が強くなり引きこもってしまい、半年〜一年留年予定です。 私が一人で生活できない状態なので、母は「早く帰って来て」と愉します。 しかし私の父がズレた人で、帰省が不安です。 教育費は十分に与えてくれ、留年も認めてくれたので、金銭的にはとても援助してもらいました。十分恵まれていることは承知しています。 ただ、父親は非常に不安定な性格で、収入が減るなど気に入らないことが起こると暴力的になることが怖いです。 小さい頃は泣けばうるさいと脅され、私が小学生〜中学生のときは「道で卵売りでもしたら」「腎臓を売ったら」「塩酸の海で泳いで」「AV女優〇〇(私の名前)の□□が見れる」と言われました。他にもセクハラめいた発言をされました。本人は奇声を上げ大音量でヘビメタを流しうるさいのに、私達には包丁で脅したこともありました。 母に至ってはよく叩かれたり首を締められたりしていました。 清潔感も皆無で、食べ物や飲み物をあちこちに飛ばします。父親が寝そべる床は油で滑ります。 こんな性格の父は高学歴で、私も同じ大学に入学しました。 進学で遠方へ引っ越したから母は「〇〇ちゃんは逃げられるけどお母さんは一生逃げられない」と言っていて、母が可哀想に思えました。 私がいるから離婚できず、父の死亡後の保険金を狙っているようです。 また実家に自分の部屋がないこと、貧しくないのに歯列矯正を受けさせてくれなかったことが引っかかっています。歯列矯正は将来私が貯金して受ける予定ですが、母は矯正なんて気にしすぎだ、という感じです。 以上の理由で帰省が怖いです。 一方で、私が去年から生活が困難で勉強できずゴミ屋敷に住んでいる状態なので、実家先で就職してもいいのでは、とも思います。 最近私が冬休みなどで一時帰省してるとき、父親はケーキや美味しいものをくれるようになりました。以前より暴力性が収まった気もします。けれどそのケーキが歪んだ愛情表現のように思えてなりません。 親に対してお金と食べ物にしか感謝できない娘は最低ですか? 私は実家で安心して過ごせるでしょうか? 就職後も一人暮らしをして自立した方がいいのは分かっていますが、体力的・精神的に厳しそうです。

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回答数回答 1

父の死が受け止めれない

今年の8月30日に父が癌で他界しました。 享年60歳でした。 今年の初めより余命宣告を受けており、亡くなる2ヶ月ほど前から看取りの方針で同居することになりました。 私は看護師をしているのですが、現在育休中で他の家族より長い時間共に過ごし、点滴等の介助、病院の付き添いも行っていました。 入退院を繰り返してきてた父でしたが、 他界する数日前に「しんどいから病院へ行きたい」と口にし、入院となりました。 点滴加療で身体のしんどさは軽減し持ってきた梨まで食べてくれるまで元気になっていました。 早く帰ろうな!また来るわ!と言ったのが 最後2日後に危篤状態になって亡くなりました。 余命宣告を受け医師から何度も話をしてもらい 看護師をしている上で経験上他の人よりわかることも多かったのですが、いざ本当にいなくなってしまうと受け入れれない自分もいます。 その反面淡々と葬式の準備や、死後の身辺整理等を行っている自分もいます。 現在子育て中ということもあり、哀しみに浸るということはなく、父がいなくなっても当たり前の日々を過ごしています。 時間がある時に父との思い出を 思い出そうとすると頭の思考が拒絶して 亡くなる前のことも考えることを自己で阻害してしまいます。 悲しんであげるのを父は望んでいるのではないとは思いますが、淡々と法事をこなし、 日常を過ごすことにすごく嫌気がさしてしまいます。 忘れてはいません、しかし具体的にこう話したりこんな様子だったということを振り返ろうとしても考えられません。 こういう時はどうしたらいいですか。

有り難し有り難し 10
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父と距離を取り、自分の道と向き合う勇気を

私の父は自閉スペクトラム症です。それは別に気にしていないのですが、とにかく敵を自ら作る癖、これに私や家族、そして本人がとても苦しんでいます。 気にしなければ良い事に一々反応しては、見下したり怒りを撒いて、自分も他人も傷つけます。職場でも似たような事をしているらしく、自ら敵を作ってはパワハラを行い、そのせいで職場をリストラされてしまいました。 家でもいつも何かしらの愚痴や文句、罵声ばかり。その矛先は家族にも飛び、私自身も精神的虐待を受けてきました。 私としては父には父自身や父の大切な人の幸せを願い、人生を楽しんで人と喜びを分かち合う。そんな人生を送れたらきっと父も幸せなのではないかと思い今までそうなれるよう助言などをして接してきました。 しかし父は自身にとって嫌な事は全部他人のせいにする癖がやめられないようで、こちらの意見に耳を傾けてくれません。傾けても聞いてやっていると言う意識でいます。 父を助けようという気持ちは私のエゴ。父は望んでないかもしれないし、逆に私が父に望みすぎではないかと言うのは承知しています。ですが今のままではあまりにも苦しそうで…見捨てられずにいます。しかし私自身が疲れてきているのも事実です これは父自身の課題でもあるし、父の心を変えられるのは父だけだと思うので彼とはもう距離を取り、私は私自身の課題や道と向き合おうと思うのですが、勇気が出ません。 なのでどうか私に、父から離れ自らの道と向き合う勇気を下さい。 励ましや応援、出来れば助言などを貰えると幸いです。

有り難し有り難し 20
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愚かさで父の寿命を縮めてしまった

 コロナ前のことで、父は神経難病末期で、何度目かの誤嚥性肺炎で入院しました。療養型病院なので積極的な対応はあまりなく、嚥下困難で食事に時間のかかる父の希望で、食事介助に行っていました。 そして家にいる時と同様に、あるビタミン剤を飲ませていました。 医者にはいい顔はされないと思ったので、独断でこっそりと。 1か月ほどして、主治医から呼ばれ、体の全部が機能しなくなっているので、と暗に覚悟をするよう言われました。ここでようやくビタミン剤を飲ませるのを止めました。 その後しばらくして容態が急変し、このままここで治療するか、急性期病院に転院するか尋ねられた時、一瞬頭をよぎったのが、ビタミン剤のせいかも、急性期病院で詳しく検査して、状態の悪い父に勝手に飲ませていたのがわかったら非難される、ということでした。すぐに母が父の負担を考えて転院を否定したのと、主治医から治療そのものはここでも特に変わらない、と聞いたので、どこかホッとして転院しないことを決め、父はその後亡くなりました。 後に主治医にビタミン剤を飲ませていたことを告げましたが、特に父の病状には関係なかったとの返答でした。 しかし、飲ませたことも愚かでしたが、転院に躊躇したのは、自分の保身とエゴです。あの時、急性期病院で積極的な治療をしていたら、もう一度持ち直したかもしれない、と今更になって毎日悔やんでいます。 父は嚥下困難でも何とか食事を口にしようと懸命で、全部機能していないと言われる体であっても、必死で自力でトイレに行こうとしていました。 そんな父の命の瀬戸際に、母が希望しなかったのをいいことに、己のエゴで父の寿命を縮めてしまいました。  自責の念と後悔で、胸が苦しいです。正直、死んで詫びたい気持ちですが、残される母のことは心配するな、と最後に父に約束したので、今はそれは出来ません。母には経緯をすべて話しました。母は父の状態からあまり積極的な治療を望んでいなかったようです。しかし、父自身は一日でも長く生きたいという強い思いがあった気がします。  この罪の償い方をお教えください。

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父の変化は私のせいなのかもしれない

いつもありがとうございます。 また、父のことで相談させていただきます。 母が亡くなり、施設にお世話になっているのですが、最近は時々妄想のようなことを口にしているようです。 若い時から、思い込みなのか常識から外れたことを口にすることがありました。 またお父さんの妄想が始まったとあまり関りを持ってはいませんでした。 母がそばにいたので母が常にたしなめていたようです。 今現在母もいなくなり、寂しい思いをしているとは思います。 私は月に3から4回は父に会うようにはしているのですが、歩くのがおぼつかなくなってきており、一人では外に出ないようにさせています。 もっと自由にさせていたほうが、父は元気でいたのではないかと最近考えています。 施設のほうからの依頼もあり、一人での外出をさせないようにする選択をしたために父の元気を奪ってしまったのではないかと考え始めました。 歳をとり仕方のないことだとはわかっておりますが、父に対して申し訳ないような気持ちになり、心の整理がつきません。 本当にいつも愚痴のような相談になり、申し訳ないのですが、父の老いをきちんと納得でき、私自身の心の整理ができるようにお言葉をもらえればと思います。 お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

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父親を憎いが放っておけません

一昨年母が亡くなり、父と主人と私の3人で暮らしています。 母が亡くなりしばらくしてから父は引きこもりになり早1年半がたちます。 小さいですが会社の社長をしていますが仕事のこともほぼ放置し社員に丸投げしている状態です。私も事務をしています。  私が過去にうつ病になった時に「俺から言わせりゃ仮病、そんな辛いなら死ねばいい」と言われました。 そんな父の近くにいたら治らないと思い、家を出て一人暮らしをし、結婚して、15年ほどたちましたが母が亡くなり結局は父を放っておけず実家で暮らしています。 やはり父の性格は変わるはずがなく、私がやる事は父にとっては全て当たり前のようです。「ありがとう」「ご馳走さま」「お願いね」などの言葉は一切なく、それどころか文句を言われます。 機嫌が悪いと明らかに表情もムスっとしており、指摘したら「こういう性格だ」と言われました。それ以外にも気に入らない事があると物に当たったり大きな声で怒鳴ります。 私ももう耐えられなくなったので「住むところが見つかったら家を出ていく」と言うと物を投げつけ怒鳴られ、しまいに自分の手の甲にボールペンを何度も刺して「死んでやる」と暴れていました。完全に病気だと思いますが病院にも行ってくれません。 離れて暮らすのが1番だと思いますが何故か放っておけません。このままでは私が病んでしまいそうです。 現場へ行かなくてもせめて事務所には行ってほしいですし、暴れるのをやめてほしいです。自分だけが辛いという考えはやめてほしいです。1番辛かった時に「死ねばいい」と娘に言う事も信じられません。 私がしていることも全て当たり前ではないことを分かってほしいです。会社のことがあるから家を出ることも躊躇しているし、やはり放っておけない気持ちも消えません。 それでも家を出れば良いでしょうか?それとも私がもっと頑張って嫌な態度や言葉はスルーして賢く接するのが良いのでしょうか?後者ができればとてもラクだと思いますが許せない気持ちも消えません。でも放っておけない気持ちも消えません…。毎日その繰り返しで苦しいです。 何か良い方法はないでしょうか。 どうか宜しくお願い致します。

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入院中の父が転院せず退院を希望しています

病院嫌いの父(79)が救急車で運ばれ、初めて入院しました。 付き添った母の話だと、病院の方からは疑いのある病名も聞かされていないのですが、ウイルス性の肺炎だけでなさそうなので、専門の科があるところに転院して検査・手術を検討したほうが良い。 ただ、またコロナが増えてきて転院先がなかなか見つからない。 見つからない時はこの病院でできる治療をして様子を見ます。とのことでした。 入院3日目、母に会って父の様子等の話を聞き『早く元気になって また遊ぼうね じぃじ がんばれ!』というメッセージと、子供達の写真を載せたカードを「明日渡しといて」と託して別れました。 その日の夜、父から着信がありました。 「俺、退院しようかと思って。 治るかもわからないのに、転院してまた検査で痛い思いをしたくない。 テレビもないし、お粥も頑張って食べても半分くらいしか喉を通らないし、動けないし、このままじゃどんどん弱っていってしまう」 私は泣きながら 「病院嫌いのお父さんが初めての入院だから、気が弱ってるのもあるんだよ。 子供達も『じぃじ、じぃじ』ってお父さんのことが大好きなんだし、頑張ってほしい。 七五三やランドセル背負った姿も見てもらいたいし、まだまだ長生きしてほしい」と伝えました。 すると父から「だからこそ元気なうちに退院して、孫達と遊んであげたい。 もうここまで生きたんだし、その時はその時だ。 まぁ、そんな相談をお母さんにしようと思ったんだけど、電話が繋がらないんだ」 その後、父と話したらしく母から着信がありました。 「『◯◯(私)は何て言ってた?』って聞いたら『お父さんの好きにしたら?って言ってた』って聞いたよ。だから『先生に退院したいって伝えてみたら?』って言ったんだ」 私の気持ちを伝えても、父は母に嘘をついたようです。 私が伝えた言葉を話すと 「検査がよっぽど辛かったんじゃない? お父さんの好きなようにさせてあげようよ。 今すぐ亡くなるって決まってる訳じゃないんだし、好きな物食べて飲んで、足は達者な人だから散歩して。 孫達と遊んでたら、入院中の今より元気になるかもよ」とのことでした。 父や母の思いもわからなくもない気持ちと、検査を頑張ってもらって、長生きしてほしいという自分の気持ちがせめぎ合っています。 退院してきたら今まで通り接することができるか自信がありません。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ