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哲学する

回答数回答 4
有り難し有り難し 48

こんばんは。
いつもお世話になっております。ありがとうございます。

昔、若い時は四十代も中盤になったら日々が同じ事の繰り返しになるのかなと思っていたのですが、日々新しい出会いや出来事に遭遇し、小さな変化もあり、少しビックリしながら毎日の生活しております。

そのような中で、勉強し哲学しながら生きているのだなと思いました。

この先も様々な変化があると思うと、少しドキドキしますが、これから大切にするべき心持ちなどございましたら、ご教授下さい。

急を要するお話しではないかと思いますので、お時間の許す時に、よろしくお願い致します。

2022年2月3日 22:36

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今この瞬間をしっかり受け止めて立っていられる自分で

若い頃に持っていた価値観や描いていた志は、いろんな環境の中で出会った人や経験によって、変化をしていくものですよね。そして対応していく術を身につける。
あの頃には、見えていなかった生き方をしていくものですね。

そう思うと、これから先も、今の経験値で描いている未来を、良い意味で裏切っていくのかもしれません。

こんな自分になっているのだと、その変化を楽しんだり喜べる心の余裕を持ち合わせたいですね。

過去に引っ張られたり、未来に不安ばかり抱くよりも、今この瞬間をしっかり受け止めて立っていられる自分でありたいなと思うのです。

どんな生き方であっても、自分で歩む道。
納得していけたらね。

2022年2月4日 1:58
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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同じ景色を「あたらしく」「まえとことなる」マインドで。

人間それでも優先順位は哲学してもスポーツしても宗教しても同じアタマで同じアタマの中のルートで歩み続け・走り続けていくと、同じ景色でも同じに見えてきてしまうことがある。安定が好きで、恒常性を好む人間の脳のサガとでいいましょうか。
だから人生毎日発見は実はいつでも当たり前なのだという視点を。
つまり、毎日新しい発見をしようという姿勢よりも、脳のクセを知って、同じ繰り返しと思ってしまうような思考に陥らない哲学で、習慣性を打破する。
同じ絵を毎日見るといっても、人間は同じような所しか行ったり来たりしないもんです。

哲学の思索、追求の精神は鋭いエネルギーです。
その哲学の思索・視索の精神をさらに上手に活用する方法を一つ。
それは「考え」で「考えそのものを見抜く」ということ。
思考活動のポインターで自分自身の思考活動そのものを客観視して、さらに上空300メートルぐらいの視点(たとえ)で、「(*´▽`*)ははは、俺のやつめが、またしてもあの思考活動・哲学という一定の思考パターンでフリーズしておるわい。」と自分の思考ワールドから出離・解脱して、思考というアスファルト圏内から外れた事実・LIVE・実感・知覚・思考を伴わない「素足でやわらか踏み土👣」フィールド圏内に自分で自分の意識を移行させるのです。(わかりやすくいえば)

考えをツールとしていると、いわゆる仏教の教えは考え事でおわっちゃう。
釈尊と考える人の像を並べてみてください。
あれ、外部から見ると同じようなことをしていると思われるかもしれませんが、全然違うのです。もちろん意味付けとしての説明ですが、考え事をしている人は考え状態。思考活動は活動。哲学者は哲学ゾーン。ですが、仏教・仏道とは実は考えの世界ではないのです。もちろん、仏教にも仏教学、仏教哲学、仏教思想ZONEも存在します。ですが、原点の釈尊や覚者はそこを仏ッ超えてます。

どうせならそばと思いこまれて食べされられていたものが実はうどん粉8割の名前だけ蕎麦の2割だけ蕎麦だったと気づいて、本当のうまい蕎麦を求めようという志を持つように、どうせ哲学・仏教・自分学をまなぶにしても最高最上のクオリティを追求してみようと、思ってみることです。
「はじめに言葉ありき」は思考ファーストの世俗の世界。🍎リンゴ
「はじめに事実ありき」は事実ファーストの非思考の世界。🍏非思量

2022年2月5日 12:43
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有り難し
おきもち

苦しみは無くならない。

大切にすべきことですね。
生きているかぎり苦しみは無くならない、ただ苦しみの形が変わっていくだけだ、ということでしょうか。
また、欲・怒り・怠け・プライド等の煩悩は悩み苦しみストレスの原因であるから自分の煩悩には気をつけること。
一方で、他人の煩悩には「お互い様」の精神で慈悲の眼差し(この人にも可愛いとこあるじゃないか)を思い出すようにしましょう。

2022年2月4日 12:40
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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日々是新たなり

拝読させて頂きました。
あなたのその様なお気持ちとても素晴らしいと思います。年齢はあまり関係はありませんよね、私達はこの世界や地球や宇宙そして仏様に比べたら本当にわずかな時間しか経験していませんし、世の成り立ちや真理などわからないことばかりです。
ですから日々是新たなりですよね、当たり前だと思っているものは実はとても新鮮で素晴らしいものごとばかりです、目の前にあるもの全てが感動や感謝に値することばかりですからね。
先程ウチのお寺から前の道に出ましたら遥か北の方に美しい男体山等の日光連山が真っ白な雪山の姿を表して日の光に照らされて輝いていました。とても神々しいその毅然たるお姿を拝み、とても有り難く感じました。おそらくその雪山は少しずつ溶けていき春には山々の木々や植物を潤し生きもの達に新鮮な水を与えていき、少しずつ大きな河川となって私達にあらゆるものを恵み育んで下さることでしょう。ふとそう見させて頂くことも有難いですし、思い感じることもとても素晴らしいと思います。
きっとあなたの身の回りや足元にもその様な素晴らしいものことに囲まれていらっしゃるでしょうし、恵まれておられることでしょう。
どうかこれから毎日の生活の中でその様な素晴らしいものかけがえのないことに、素晴らしいご縁を感じて受け入れていって下さいね。

あなたがこれからの毎日を素晴らしいご縁に恵まれながら日々是新たなりと感じられ、大切な方々と一緒に感動なさり感謝なさり心豊かに幸せに生き抜いていかれます様に切に祈っています。

有難うございます。あなたがこれからの未来を豊かに潤いに満ちたご縁の中で生き抜いていかれます様心より仏様や神様にお祈りさせて頂きます。またあなたのお気持ちお聞かせ下さいね。あなたを心よりお待ちしております。至心合掌

2022年2月4日 12:31
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

中田三恵様

こんばんは。お返事頂きまして、ありがとうございます。

様々な出会いやご縁によって、自分自身も変化していくものだなと感じました。成長は自分自身によるところもあるけれど、周りの方々や環境にも助けられてあるのだなとも思いました。もちろん、若い頃の初心も大切だなと思いますし、対応力、対応術も身につけていき、想像とは違う、今を生きているのだなと感じます。未来もまた想像の範疇を超えていくのかもしれないですね。

今この瞬間を大切に受け止めていくこと、それが過去から未来に続く中で大切だなと思いました。毎日を大切に生きることですね。

一人一人、違う生き方の中で、自分の生き方に納得できるように精進したいです。

いつも親身なご回答を頂きまして、ありがとうございます。

さらにご回答下さいました御二方のお坊様

ご回答頂きまして、ありがとうございます。

金曜日、土曜日と仕事が続き、時間があまり取れませんでした。明日の仕事が終わりましたら、改めてお礼のコメントを書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。

Kousyo Kuuyo Azuma様

ご回答頂きまして、ありがとうございます。

北関東の日光連山の景色を想像し、そこからの繋がりにも思いを馳せました。

分からないことばかりの中で、それでもありがたいご縁の中で生かされて、日々是新なりの気持ちで過ごしたいと思います。

ありがとうございます。

願誉浄史様

ご回答頂きまして、ありがとうございます。

そうですね。苦しみは変化していくものだなと思いました。

他者に対しては、お互い様の気持ちで接するようになりたいと思いました。

ありがとうございます。

丹下 覚元様

ご回答頂きまして、ありがとうございます。

なるべく自分の恒常性を上空から見るように客観視できるようになりたいと思います。

仏陀や覚者の域にはなかなか近づけないかもしれませんが、自分史上最高には近づけるようにしたいです。

ありがとうございます。

お坊様の皆様、ありがとうございます。

まだもう少し寒い季節ですので、お体にお気をつけてお過ごし下さい。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

『今』を生きる事に集中したい

幼い頃から負の情報にとても影響を受けやすいです。 家族間や学校、職場での出来事はもちろん、特にメディアでの情報やニュースにはとても敏感です。 東日本大地震で被災してからは更に過敏になったように思います。 戦争や災害、陰謀論、気候変動、ワクチン、政治問題など。 こればかりは自分の影響力の範囲外の事ですし、先のことは誰にも分からないので悩んでもしかたない事だと理解はしているのですが怖くて苦しくて潰れそうになります。 そういった情報が目に入らないように使用機器の設定をしたり、テレビをつけずに過ごしたりと対策はしているのですが、たまたま目に入ってしまった時に呼吸が苦しくなってしまうのです。 恥ずかしい話ですが、北朝鮮のミサイル発射の速報を見て小学校や中学校だけでなく仕事を休んでしまったり、公共交通機関に乗れなくなったこともありました。 共感疲労というのでしょうか。 いつか家族が、愛する息子が、自分が、と次々に想像してしまい止められません。 そして実際に家族を失ったような喪失感に襲われます。 夢に出てくることもあり、正直それが一番辛いです。 残虐な殺され方を目の当たりにして現実で起きたような衝撃と感情で目が覚め、気持ちがリセット出来なくなります。 毎日何かに怯え、家事育児中もずっと頭の中が不安しかないのです。 常々『死』を連想してしまいます。 立て続けに身内を3人、急性の癌で亡くしているのでそれも関係しているのかもしれませんが。 こんな世の中に息子を産んでしまった事を後悔してしまいます。 この世は生きるに値しない気がします。 でも生きていくしかありません。 どうしたら今を生きられるようになるでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 ご返答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

専業主婦に憧れます

こんにちは。 以前新婚時に相談したものです。 新婚時は夫どの関係に自信が持てず悩んでいましたが、昨年第一子を出産してからは全く気にならなくなり、それどころか家族との日々を過ごせることをとても幸せに感じています。 今回ご相談したいことは、私の仕事のことです。 私は公務員で役所勤務しています。育休や子育て支援制度も充実しており、今は週3日勤務で子供を保育園に預けながら働いています。 平日休みの日は子供は保育園に行くので、私の時間ももらえ、とても恵まれているのはわかっているのですが、子供が熱を出したときなど急な休みをもらわないといけないときなど、仕事をやめてしまいたくなります。 急に仕事に穴を開ける罪悪感、子育てがあるため仕事に全力を注ぐことができない罪悪感、仕事のことを気にしながら子どもと向き合っているもどかしさ… 私は両立が苦手のようです。 どちらにも100%の力を注げないもどかしさもありますが、何より子供を育て、家族のことを一番に考えながら平和な家で家事育児をして過ごす日々が幸せすぎます。 なので、いっそ仕事をやめてしまって家事育児に専念し、余った時間で今流行りの在宅でできるお小遣い稼ぎでもしたらいいんじゃないかとか思ってしまいます。 でも、やっぱり今の仕事は本当に恵まれているのも承知しており、そこまで高給取りではありませんが、長い目で見れば金銭的にも大きな差が出てきて、将来の子供の学費などの資金にも影響が出てくると思います。夫はやめるのは私の保障がなくなる意味でもったいないといいますし、私の親は辞めたとしても、専業主婦になっても辛いこと嫌なことはあるから変わらないといいます。 今の私はどのように気持ちの整理をつければいいでしょうか。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

敢えてバランスを崩す

人生において、何事もバランスを取ることが大切だと良く聞きます。しかし何事も二面性(バランスを取ることによる弊害)がある中で、なぜその重要性が真理のような言い方をされるのでしょうか。 例えば、食生活のバランスを意図的に崩してみること(ときに、野菜のみ/肉のみ/炭水化物のみ、暴食/絶食、新鮮な食材/悪くなりかけの食材、普段食べない料理にチャレンジ等)は、自身の体の変化への対応力を身につけるためには有用である(むしろ健康を増進する)との考え方もあるでしょう。 また、常にバランスの取れた食事よりも、その時々で食べ物の美味しさ、有り難みに気づけるのもメリットでしょう。 意図的にバランスを崩すことは、仕事や学業や趣味、恋愛など様々なことにも有用と考えております。 何事もバランスが重要との言葉、信じて良いのでしょうか。(上記の例でいくと、長い目で見ると食生活のバランスが取れているとの見方も可能だと思いますが) 仏教ではどのような考え方をされるでしょうか。バランスは時間の経過とともに自然と取られるとの見方や、そもそもバランスを取るなど幻想、私の問い自体がナンセンスとの考え方もあるかと思います。是非お知恵を拝借させてください。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

社会不適合者の生き方

今自身の存在意義について悩んでいます。 背景を記載致します。私はASDという発達障害を患っていることを社会人になって初めてしました。これは先天的なものであり、不治です。 学生時代から社会不適合や問題児として扱われてました。しかし、それも一つの味だといじられキャラとして何とか楽しく過ごせて来ました。また、人なりになれない部分ばかりですが、一部は無茶して何とかして来ました。 しかし、社会人になるとそうはいきません。普通の人が出来ることにやはり数倍苦労します。ミスばかりで他人に迷惑をかけます。無茶をすると逆に会社として困る存在になります。 学生時代からぼんやり思っており、発達障害とわかってはっきりしましたが、このような発達障害で何の取り柄もなく、人の数倍労力をかけないと人並みにすらなれない人間に何の意味があるのだろうと自己嫌悪に堕ちる日々です。 この先は生きていても誰の役にも立てず迷惑ばかりかける存在になると思っています。だからこそ、命を粗末にすることは悪いことと思いつつ、早死にしたいという気持ちがあります。苦しむために生まれて来たとさえ思います。 その反面、健常者と同じように生きたいという欲深い気持ちもあります。 難しい質問ではありますが、どんな心持ちで生きれば、この苦しい罰のような人生を乗り越えられるでしょうか?どうやって自身の存在を受け入れればいいでしょうか? 長年の悩みです。アドバイスをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

自分の生き方

私は昔からわがままで性格が悪く自己中で欲の強い人間でした。 幼稚園の時女の子の友達に対していじめをしていたり、親の気を引くためにわざと親に対して嫌な事をしたり、歩くのに疲れたらお腹が痛いなど言い訳をして親におんぶをしてもらっていました。 小学生の時は、親の気を引くためにいじめられていると嘘をついたり、兄や母の部屋に入って物を取ったりしていました。 小1の時、友達と遊んでいたのですがその時に友達が子犬も連れていて私がその子犬を抱っこしてフェンスに登って遊んでいたのですが、あまり覚えていませんがその子犬を下に落としてしまってその子犬が亡くなってしまいました。もしかしたら自分が登っていて危なくなったので犬を下に落としたのかもしれません。 中学生になり人間関係がうまくいかずいじめを受けたりして、強迫神経症になりクラスに行けなくなり高校生の時学校を転校しました。また、幻聴も酷くなり、薬も効きません。 転校したのも正直自分が楽をしたかったからです。 転校した先の学校は通信制でお金がかかり親に迷惑をかけました。 親は片親で父親が亡くなり1人で育ててくれましたが、親の気持ちなど微塵も考えず自分が楽したいからと逃げていました。 社会人になって仕事が続かず、また職場で悪口のターゲットになりやすく、転々としていました。20代前半で6回も転職しています。どの職場でも悪口のターゲットになります。また、幻聴が聞こえてくるので何が何だか分からなくなり、被害妄想が強くなり周りが悪口を言っているからと言ってもしかしたら言っていないかもしれないのに周りのせいにしていました。 このままでは良くないと国家資格も勉強して取りましたが、せっかく就職しても悪口を言われるから、働いている時間が長く感じるからという理由で辞めてしまいました。働くのが嫌だという理由で結婚相手を探し始め、60万も借金があるのにそれを結局彼氏に支払ってもらい結婚もしましたが、旦那に対して別の人が良かったかも、もっと自分の人生を生きれば良かったなど最低な考えを持ってしまいます。どこまでクズなんだろうと思いますが、自覚がなかったようで最近自分が最低な人間だという事に気づきました。現在、妊娠しています。わがままな子供が妊娠しているような感じです。自分の行動を戒め今まで迷惑をかけてきた人達に対して償うにはどう生きればいいでしょうか?

有り難し有り難し 19
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ