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人との接し方に悩んでます

回答数回答 2
有り難し有り難し 14

小学生の頃に父親を怒らせてしまうと暴力を受けていました。何年にも渡って暴力を受けていたため、父親に限らず他人の顔色を伺いながら生きています。
また、小学生の頃いじめられていた経験があり、今でもどんなに仲の良い友達と話していても「この子は私の事が嫌いなのではないか」と思い込んでしまいます。
そのため、人との付き合い方がわかりません。人の顔色を伺っているせいか本当の自分をさらけ出せるような友達もいません。どうしたら良いでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

腹を割って話せる友人はそういないもの

なんでも話せる友人。多くの人はそんな友人がいない、またはいたとしても1人です。

親友という言葉を知っていますか。
親友とは人生においてたった一人しかいません。その親友が見つかるまではみな、人の顔色をみながらお付き合いしているんですよ。
あなたは特別ではありません。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

安心してください、嫌われてませんよ

親からの暴力という辛い学生時代があったんですね。

暴力振るう人って、実は弱い人なんですって。
心が。だからそれを誤魔化すために、自分より弱い存在に暴力ふるってしまうんですって。

顔色を伺うって、ある意味では相手を思いやれるってことでもあるんですよ(^o^)
それができる人は強い人なんです、実は。

でももう少し。
それは嫌われるのを恐れないこと。

お釈迦さまですら、憎まれたり嫌われたりすることがあったんですよ?
だから、あなたがどんなに自分をさらけ出したところで、みんなに好かれるのも、みんなに嫌われるのも、無理な話なんです。
気を使おうがさらけ出そうが、同じことです。

人を嫌うのってエネルギーいるんですよ。
だからあやねさんのこと嫌う人なんてそうそういないんです。
だって、しんどいでしょ。
そんなしんどい思いわざわざしませんよ。
安心して話しましょう。
そして気楽に話して考えれる習慣作りしていきましょうね(^_^)ノ

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有り難し
おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれることができればと思います。 そしてこの縁によって仏教の良さを知って頂けるととても嬉しいです。

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