人の幸せが憎いです
去年、私の上司が自殺しました。原因はいじめです。いじめられていたのを現場にいて知っていながら助けれなかったという後悔しかありません。その1ヶ月後、私のLINEに知り合いに子供が生まれたという連絡と写真が送られました。祝う反面、自分の現状と比べて憎しみが出て来ました。このジレンマを解消したいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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現状でできることをやってみる
こんにちは。
身近な人を亡くされたお悲しみを察します。
あなたの心中を察するがゆえに、一助になれたらと思い回答します。
「ジレンマを解消したい」とのことです。
ご自身でお分かりかと思いますが、「上司が自殺」ということと「知り合いに子供が生まれた」ということは、全く違う場所、人間に起こった直接の関わり合いのない出来事です。敢えて言えば、それを結びつけているのは他でもないご自身です。
「助けれなかったという後悔」という無力感のある自分。
「知り合い」はもう家庭を持っているのに、「自分の現状」ではそうではないという劣等感のある自分。質問文がかなり短いので想像で補って言葉にしていますが、そういう感情がないまぜになっているということでしょう。
「上司が自殺」ということについてですが、それは「知っていながら」であっても、「助けれなかった」としても「自殺」以前に戻ることは出来ません。ただ、「いじめ」という精神的加害行為があった、今でもその「いじめ」の加害者が同じ職場にいる、ということについてあなたは無力ではないはずです。職場改善のためになにか出来ないか。或いは職場のいじめによる自殺は労災としても認定してもらえるようですが、これについて遺族のためになにか出来ないか。これについてあなはたは無力ではないはずです。会社の規模、環境も全くわかりませんが、この他にもあなたなりに考えられる余地はありませんか。
ご自身が考え、動いて、影響力を少しでも持てることを実感して無力感を跳ね返していく力が涵養されていくならば、他者と比較して劣等感を感じる「自分の現状」への見方は少しづつでも変わっていくのではないかと思いました。
別々の出来事をつなげない
別々の出来事をつなげて考えると辛くなる場合がありますね。
上司の人生、あなたの人生、友人の人生。
それぞれ違う物語なのです。
また、同一人物であっても細胞は日々新陳代謝で入れ替わり、去年のあなたと今日のあなたは別の物体です。
記憶データを相続しているから同一人物だと錯覚しているだけ。
上司と過ごしていたあなたと今日のあなたは別人なのです。
過去の記憶データを引っ張り出して楽しい気分になるなら良いですが、妄想雑念で苦しくなるなら、考えない方がましです。
なお、自殺者の9割は鬱などを患っているそうです。
上司は病気で亡くなったと思いましょう。
上司が元気なら、会社を辞めるなど、危険から逃げるエネルギーがあったはず。
逃げるエネルギーが出なかったのは病気のせいかもしれません。
腰痛になりやすい人、内蔵が弱い人、鼻炎になりやすい人、脳・神経を病みやしあ人など、個人差があります。
たまたま上司は脳・神経を病みやすい人だっただけ。
あなたが責任を感じる必要はないと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
今は亡くなった上司の死を無駄にしないよう心がけています。また、信頼してる人から「彼の分まで幸せにならないとね」と言われたので、幸せになれるよう生きて生きます。