hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

助けてください。

回答数回答 3
有り難し有り難し 59

私は長崎の大学に通う学生です。

今までネガティブ思考で生きてきました。今は夢も希望もありません。どうか、前向きに生きれるようにお言葉をください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ネガティブなのは若者の特権です

若い時は悩みぬくものです。
人生を支配し闊歩しているようなまわりの大人の俗物ぶりに辟易して虚無的になり、考えるほど思考の暗闇にはいっていくのが青春ですね。
青春が花盛りの青空みたいに思ってる奴らは、生涯人生の虚無感など味わったりはしないし、文学とも哲学とも無縁で、スノッブな人生しか送らないんです。
そういう観察や疑問があって先人の書いたもの、文学や哲学や宗教のなんたるかを紐解こうと努力する。読書にふける。
加えて性の悶え、そういう時期が青春期なのです。手を差し伸べて掴みたいものがあるのに手が届かない。夢や希望はどん底に落ち込んでから生まれてくるものです。
そういう人生を送らなかったバカな青春を過ごしてきた政治家どもが、大学に文学部はいらないなどといって廃部してしまったりする。
大いにネガティブ思考をして、人生を探索してください。
ろくに悩みももたない人生を送ったって糞坊主にもなれません。
仏教の根底は苦とはなにか、苦を体験してこそ取り組めるのが仏教というものです。
毎日かならず小説でも読んでください。
どうあなたがネガティブなのか、自己分析してご自分を深めてください。
いろいろお考えあれ。

{{count}}
有り難し
おきもち

楽健法と楽健寺の天然酵母パンを普及しはじめてかれこれ半世紀になります。楽健法も楽健寺の天然酵母パンもマスコミによく取り上げられています。

ネガティブ思考は、見込みアリです。

浄土真宗の祖師の親鸞聖人も、
比叡山での20年間の修行の甲斐も無く、
思うような境地に達することができず、
「悟れない自分には地獄こそが決定的な居場所なのだ」
と、超ネガティブでした。

しかし、
浄土宗の祖師の法然上人に出遇われて、
「ただ念仏して、阿弥陀仏にたすけて頂くのだ」
という教えを信じて生きていくようになりました。

野薔薇さまにも、
そのような出遇いが待っているはずです。
それを信じて歩んでみましょうよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

みっともない生き方

みっともない生き方をオススメします。
全力で走りつまづいて泣きながらまた走るイメージです。
言い換えるならば何事も一所懸命にということです。
全身全霊でやってごらんなさい。あなたの魂が揺さぶられ喜びますよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがたいお言葉に感謝いたします。少しずつですが、前進していきます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ