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母を亡くしてから孤独感がつきまとう

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

お世話になっております。
以前にもこちらでご相談をさせていただきました。いつも読み返しては心救われております。
前にも相談させて頂いた母が亡くなり一か月余り。何度もお坊様方からのご返信を読んでおります。しかしなかなかうまく心の整理はつきそうでつかず‥ふと、どうしようもなく寂しく、悲しく、苦しくなります。
心が抉られるような気持ちになります。
自分の職場の先輩や母の友人から「今は暫しのお別れで、またいずれあの世で再開すると思うことで少し気持ちが楽になるよ」と言われます。そのような考え方を信じながら日々を何となく、だましだまし生きています。
子供が2人いるので日常はバタバタとしておりますが、もうこの日常に母がいないと実感する度に心が折れそうになってしまいます。
これまでいつも一緒に子育てをしてくれていて、支えてくれていた母だったのです。
早い、早すぎる、なんで母なの‥そんな思いが消えません。
外は暖かくなり、母が好きだった花が咲き、散歩が心地よい時期に一緒に居られないと思うと、世界が色を失ったような気持ちさえしてきます。単純に毎日を生きることが苦しいです。私も子供がいる母親だというのに、こんな甘えた気持ちでいるのは恥ずかしい限りなのですが、やっぱり母が大好きだったので気持ちの切り替えができずにおります。
49日の法要は来月ですが、初めから分骨についても決めていて、少しだけ手元に残し供養するつもりです。賛否諸説ありますが‥大丈夫でしょうか。もやもやしてしまいます。
諸々、心の在り方をご教授頂きたいです。
まとまっていなくて申し訳ございません。
この後の気持ちの持ち方、切り替え方、考え方、なんでもいいので気持ちが前を向くようなお言葉を頂けませんでしょうか。
どうしても苦しいです。

2022年3月25日 13:40

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お悔やみ申し上げます。

こんにちは。

以前のご相談も拝読致しました。
まだまだお辛い時期だと思います。いかに言葉を重ねても本当の意味でたむこ様の御気持に寄り添うことはできないかもしれませんが、ここにいる私たちはいつでもたむこ様と共にあるつもりです。

日本では百箇日を別名卒哭忌とも言い、このくらいの期間までは悲しんで見送るのも一つの供養のあり方だろうと思うのです。
ある程度時間が過ぎて悲しみが和らいできたら今度はお母様から引き継いだ命をどのように活かすべきか、どう次の命に繋ぐかということを考える次の時期でしょう。

お釈迦様は「身体は滅しても心とカルマは滅しない」と仰ったそうです。残念ながらこの辺りの科学的な研究は日本よりも外国の方が進んでいるようですが、私はこの言葉を信じていたい、そう思っています。
まだまだ修行の至らない身にはぼんやりとしかわかりませんが、物質の世界とはまた異なる世界も存在するのだろうなと思います。

分骨についてはお身内の方々との話し合いができているのなら特に問題は無いのではと思います。

血の繋がった親子です。お母様の考えることはあなたの考えている事。あなたがこうしたいと思うことはお母様もしたいと思っている事です。
お母様はあなたであり、あなたはお母様でもある。
あなたの中にお母様は存在しているということを感じてこれから頑張っていきましょう。

2022年3月29日 10:46
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おきもち

一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普...
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泣きたければ泣けば良い

まだまだ苦しい時期だと思います。49日で仏になると一般的に言われています。それまではまだまだ悲しい、寂しいが出てきて当たり前だと思います。寂しかったら泣けばいい、そして手を合わせれば良いのです。
供養を重ねるごとに、事実を受け入れられるようになり、別れがあるという、当たり前が納得できるようになります。生まれたら死ぬ、出会えば別れる。これは法です。人の思いとは関係ない良し悪しの無い当たり前の真理です。

もう会えないということも受け入れられます。今すぐ受け入れなくてもいい、ちょっとずつでもよいですから、事実に目を向けていくことが大切です。思いは思い、記憶は記憶、後追いせず、今を見る。お子さんがいらっしゃるとのこと。お子さんが寂しさを緩和してくれますよ。

追記
あの世についての話はあまりしません。なぜなら無責任に死んだこともないのに会えるとは言えないでしょ。あの世があるのかどうかもわかりません。しかし、大きな命の働きは常に動いています。死と生は表裏一体。亡くなったお母様の命と同じ働きとして、風が吹いたり花が咲いたり、雨が降ったり、水が流れたり、鳥の囀りが聞こえたり、花の香りが漂ったり月が美しく輝いたりするのでしょう。生きている時より身近に命を感じることができるのでしょう。そうした働きの中に温かさを感じることができるのです。声は聞こえない触れることはできない。しかし生前より近くに感じるのですよ。

2022年3月25日 22:16
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おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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質問者からのお礼

お返事が遅くなり申し訳ございません。
現実的なアドバイスありがとうございます。
少しずつ、ゆっくりと受け入れて参ります。
曹洞宗の教えではあの世ではご先祖様に会えるのでしょうか。無知で申し訳ございません。母の納骨先のお寺様が曹洞宗だったので、気になっておりました。49日の法要がもう来週に迫っています。心の整理ができる時間にしたいです。

邦元さま
追加のメッセージありがとうございます。
頂いたお言葉を大切に歩んで参ります。

渡部仁海さま
温かいご回答を誠にありがとうございます。
自分の中に母がいてくれる、そう思っています。もう直接話すことはできなくて、触れることもできないですが、手元供養して少しずつ母を安心させてあげたいと思います。私が辛い気持ちで居続けたら、母は悲しむと思うので。
ゆっくり、時間がかかっても、強くなれるようにがんばります。ありがとうございました。

「孤独と向き合う」問答一覧

孤独の力に負けてしまいます

何度かご相談させていただいております。寂しさ、孤独については3回目くらいのご相談になります。 私は孤独を感じるとネガティブスイッチがオンになり、自分が可哀想な理由を思い出の中から引っ張ってきたり(過去に傷ついた出来事など)、涙が止まらなくなったりして、目の前の事に集中できなくなります。幸い、誰にも迷惑かけない程度に自分の心の中にネガティブは収まっているのですが、自分にとって大変迷惑で、今年はこうなってしまう自分を卒業したいです。 現在、恋人はおらず、友達はいますが、この状態になった時にすぐ電話をかけられる人はいません。友達はみんな違う街に住んでいるので、なかなか会えません。時々電話はします。できれば、自分で自分の感情を落ち着かせたいです。 また、今どうしても頑張らないと行けないことがあるので、地元のコミュニティに参加するなど余裕はありません。もちろん、余裕ができたら参加していきたいとは思っています。 前より自分を客観視できるようになって、ネガティブスイッチが入った時、このまま行くと自分を可哀想だと思い始めて、記憶を漁り出すな、と認識できるようになりました。ここまではうまく行っているのですが、寂しい気持ちを処理できずにどんよりして、集中力が落ちたり、眠れなくなったりします。眠れない時は次の日にも響いて、ネガティブを持ち越すこともあります。 寂しい気持ちはどこにやってあげたらいいでしょうか。ネガティブな感情との向き合い方のヒントをいただけると幸いです。宜しくお願いします。

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将来親が死ぬことと自分が孤独になること

中年ですが親の死が怖くてたまりません。 先日祖母を亡くして以来恐怖が強くなり、夜眠れず、朝から突然涙が溢れます。 私はひとりっ子で同居しています。 日頃から絆を感じる友達はおらず、新しい仲間を作りたいと思い行動してもうまくいかず、一人きりです。 親とは他の仲の良い家庭と違って行動は昔から常に別々ですが、今思うと私の人生は親が全てだったと感じます。 本当に何もかもお世話になっていて、たくさん反発しましたが精神的にも常に助けられて来ました。 そのことに気づかないくらい当たり前になっていて、それくらい当たり前のように救われて来ました。 こう書いていてまた涙が溢れます。 若い頃に社会不適応と診断されたことのある自分は職場でも孤立しているため、一般的な大人のようにフルタイムで働くことがとても厳しいです。 でもなんとか自分のものになるようにと、今の職場で新しい勉強に取り組んでいる最中ですが、なぜか身が入らず、メンタル的にも不安定で、将来が怖くて怖くて仕方ありません。 今親は健康で、家事は家族全員で分担し、うまくやっています。 でも当然ですがこの日常はいつか終わります。 だれもが通る道だしそれが世の常だ。って分かっていても、どうしようもなく怖くて、毎日が本当に本当につらいです。 恐怖が心から消える瞬間がほとんどありません。 どうすれば、今目の前なことに集中して、心を穏やかにできるでしょうか。 また、こんな自分が今後孤立して孤独にならない方法はないでしょうか。

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なぜかいつも一人

子供の頃からふとはぐれてしまったり、輪に入れずに一人になってしまうことが多く、ここのところはやっぱり週末も誰かと過ごすというよりは一人で出かけたりということばかり。 誰かとつるむことがそれだけで良いことかといえばそうではないだろうし一人でいる時にはないトラブルや悩みもあろうかとは思います。 他人で自分の穴を埋めようとしてはいけないとは思います。 外国人の友達はよくできていた頃があって、それでも彼らは帰国して物理的距離に反して会いに行けば大丈夫なのですが親兄弟には言われぬ日々の暮らしでの喜び悲しみを共有する相手がいなくて、それは少しつらいです。同時に、一人いればそれはふと虚しさに襲われて、一人でいない時もやっぱり虚しさに襲われて、でも何かを誤魔化す、紛らわすツールとして誰かと一緒にいたいというわけではないとは思ってます。 虚しさ、これが人をして私から遠ざける何かなのかもしれないです。 飲み屋だスナックに行って人恋しさを紛らしている自分がなにを求めているのかもわからないです。コロナ禍の時に父親が極度の警戒心から出歩かないでくれと言っていた時期には達観した気になって私なら孤独感に苛まれまいと平気を貫いてきたかにみえたのですがつらいのは果たして孤独感なのか、自分の声が誰にも届くことない感覚、あ、それも孤独感なのか。 これとても数十年したらみんないないんだろうなとかやっぱり独りになるんじゃなかろうかと、要らぬ心配なのでしょうがまた虚しくなり。 結局は他人は変えられないし自分だって思うようには操縦できないし、世界は自分のためにあるわけではないし思い通りにいかなさを納得するとか泣き出したいこんな気持ちを飼い慣らすかする術をどうにか身につけたいです。

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