理不尽な世の中について
よく、自殺はダメだとか、死後に地獄に行くなどといったことを聞きますが、なぜですか?自分の人生は自分で決める必要があるのだから自殺しようがしまいが本人の勝手ではないのかと思います。
仏教では、人生は魂の修行で、神は越えられない試練を与えないという教えがあったような気がしましたが、何のための修行、試練なのか。
しかも、実際越えられそうにない試練を人に与えていますよね。ウクライナ戦争では、何の罪もない人々の命がプーチンの勝手な欲望の為に失われていく現実にどうしても神が存在するとは思えません。(実はこの状況を見て快楽を覚えるようなサイコパス神だったり)
いくら努力しても理不尽な目に合うのであれば生きる意味等ないと思います。
生きていても理不尽な目に合う、そして老いて醜くなっていく容姿と動かなくなっていく体を無理して受け入れていく、というのが私にはとても耐えられそうにないです。ただ、こういった宗教関係の方はどのような回答をされるか気になったので質問しました。
長文失礼致しました。
よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間はミスをする
『自殺は本人の勝手なのか』
もちろん、その人の人生はその人のものです。
自殺がだめな理由は、タイトルに集約されます。
その他のいかなる決断を誤っても、それを挽回、もしくは償えるような時間が残されますが、死だけはどうあがいても決断の誤りを取り返すことができません。
人間は、どれほどベストだと確信した決断でも誤ったり、そしてそれを後悔する可能性があります。
なので、残された時間をすべて放棄し、自分の決断を省みる可能性を消す自殺はよくないのです。
『神は越えられない試練を与えない』
調べたところ、この言葉の出展は聖書だそうなので、キリスト教の言葉であって仏教にはあまり関係がないようです。
あなたがどのような神を信奉しているのかはわかりかねますが、少なくとも、仏教は全てのことを“思うが儘にはならない”と言っておりますし、発祥の地であるインドには悪神や戦争の神もおりますよ。
『理不尽なら生きる意味がない』
生きる意味は自分で見出すものであって、周りが与えてくれるものではありません。
あなたの人生は最初から無意味であり、だからこそ、自分勝手に意味を見出してもよいことになっているのです。
上記の理由から自殺はとても合理的とは言えない手段なので、無意味だからと途中で終わらせることもお勧めできません。
ですから、自分がなぜ生きているのか、どのように生きるのかをみんな一生懸命考えて生きるのですよね。
私は知ること、伝えることが面白いので“老い”と言う体験もまた踏まえてどのように人に伝えることができるのか、楽しみに生きておりますよ。
あなたのお考えもわかります
拝読させて頂きました。
あなたがその様にお考えなさっていることも一理あるとは思います。
私達の命は簡単に与えられたものではありません。幾多の奇跡的な可能性や巡り合わせの中で恵まれてきたものです。それは誰の生命でもそうです。ですからその命を粗略に扱ってしまうことは大変もったいないことです。
生きていることは並大抵ではありません、おっしゃる通り様々な災いが降りかかってきます、天災や争いや戦争が降りかかってきますし、何気なく当たり前のように生きている様に思ってもそうではありません。どの時代でも生き残ることは本当に至難の業だったでしょうし、様々な巡り合わせの中で幸いして生き残ることができてきたのかと思います。
争いや戦争や虐殺行為はそれぞれの国家等の権力の我欲によって引き起こされています。自分達の欲望を満たすために傲慢な権力は大変恐ろしい悪業引き起こしていきます。その様な大罪を止めさせていかねばなりません。私達が発信して行動していかねばなりません。
私達人類の歴史はその様な愚かな大罪を繰り返し繰り返し行なってきています。それを我がこととして心から反省して懺悔し二度と同じような過ちや間違いを起こさない様にと心がけていかねばなりません。
今現在を生きる中でも私達が日々抱えている生きづらさや苦しみは私達人間の愚かさから発生しています。それが本当に学ぶことですし智慧ですし精進です。
相田みつをさんの詩に「奪い合えば足りぬ 分け合えば余る」という言葉があります。「小欲知足」自分の欲を最大限に満たすことを止め、最小限にしても足りることを知れば、お互いに分かち合うことができて本当の心は満たされていくのです。
誰もがその智慧を知り心がけ他者とお互いを尊重し合い思いやりながら生きていくことができれば、自ずと人間の中での争いや戦争は無くなっていきます。誰もが人間社会で悩み苦しみ死ぬ程に追い込まれることも無くなっていくでしょう。自死することも無くなっていき与えられた命を最大限に豊かに幸せに生き抜いていくことができるでしょう。
今の世界や社会の絶望的な現実はありますけれども一切考えることなく放棄してしまうことはいかがでしょう?
”有難い”仏様の教えや神様の教えを信じてお互いを尊重し合い共に生きていく道を求めていくこと、発信して行動することは大切です。私に与えられた使命だと思います。