毒親
私の親は今よく言われる毒親に当てはまるみたいです。
そのことに気づいたのは兄弟でした。
兄弟は少し歳が離れています。
兄弟が子供頃、親に少しでも気に入らないことがあれば夜中まで怒られ叩かれた事もあったみたいです。私は怒られている光景は見たことがありますが、そこまで怒られている所は覚えていません。
私も怒られたり叩かれたりありましたが、毒親だと思いませんでした。
これが20年くらい前の話です。
その後兄弟が成人すると一人暮らしを始め、親も怒ることが減りました。
兄弟と親は離れたことで、一定の距離ができ怒られる事も、怒る事も少なくなり、笑ったり出かけたり外食したり、親も楽しそうで、兄弟も親と何時間も話していて楽しそうで いい関係でした。この関係は1ヶ月前までずっと当たり前に続いていました。
ただ子供の手伝い等で兄弟のところに親と向かうことが多くなりました。親も私も休みの日は行くことがほとんどで、休みの日に好きなこともできませんでした。面倒臭いと思ってしまいました。
連絡がパタっとなくなり親が心配して連絡をすると、しばらく縁を切りたい言われ、理由を聞くと、もっと楽な所に頼んでる、文句を言われない所に頼んでる、そして毒親という言葉を見つけ親に当てはまっていて、兄弟の所に親が行く度に自分で出来る様にしないと、と心配になるような事を毎回言われるからと言われたみたいです。
兄弟から連絡するまで、連絡してこないでほしいとのことでした。
孫の誕生日の時も親はメッセージだけ送りましたが、写真も送られてこなかったみたいです。
私は今でも親と一緒に暮らしていますが、誕生日プレゼントを買ってパーティーを楽しみにしている母を見て可哀想だと思います。
この関係が長く続いていて、親が可哀想に感じてしまう私はおかしいでしょうか?
今毒親というワードが出てきた事で兄弟が
縁を切るという事になりましたが、
20年以上とはいえ昔の怖い思いがあるのは
消せない事だと思います。
確かに行く度にネガティブな発言は嫌だと思います、怒られたりはしていません。
フラッシュバックしてしまうのかな、と思います。
ただ今まで手伝ってもらったり楽しく笑っていたのも事実です。
母は今でも怒ることはほぼありません。
今は毒親だとは思いません。
ずっとモヤモヤしています。
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言葉が出来たから、当てはめることもある
こればかりは、相談文に載っているお言葉だけでは判断しようがないです。
『夜中まで怒られ叩かれた』とありますが、『叩かれた』それが一回のビンタなのか、それとも棒や瓶などを用いた暴力なのか、『怒られ』の原因が親が気に入らないからなのか、それとも御姉弟が何かをしてしまった時なのか…
夜中というのが10時という人もいれば、2時という人もいるでしょう。
これによって
①『弱い者いじめをしたことでビンタ一発を貰って夜10時まで説教された』
②『親が酒に任せて殴ってきた。夜2時まで怒鳴られて寝かせてもらえなかった』
このどちらもが
『夜中まで怒られ叩かれた』
と言えてしまうわけですね。
①であれば弟さんの逆恨みと言えるでしょうし、②であれば弟さんの言い分は正当と言えるでしょう。
②が一度、もしくは数回で、心を入れ替えてよい親になる例もあるでしょう。
そのあたりのことが詳しくわからない時点で無責任なことは言えませんが、あなたが『毒親ではない』というのならあなたが優しくしてあげることでよいと思います。
弟さんがそう感じることにも原因があるのでしょう。
それが親御さんか、弟さんのどちらにあるかはわかりませんが、仲裁をするというのは大変な覚悟と労力がかかりますが、親子が仲が良いにこしたことはありません。
まずはあなたが親御さんとも弟さんとも仲良くし、取り持ってあげられるならそうしてあげるとよいでしょう。