罪悪感と後悔と今
毎回お答えいただいてありがとうございます。
今回は、昔飼っていたペットの話についてです。
子供の頃にハムスターを飼っていたのですが、ある日祖母の家から帰る車に向かっている途中にハムスターが入っているお出かけ用のカゴ(?)を手にもっていたのですが、
そのカゴを手から離してしまい、そのカゴが宙を飛んでそのまま落ちました。
その際にそのハムスターは足を負傷してしまってしまいました。
その後は病院に連れていく事もせずに、そのままにしてしまってただただ足を引きずっていたハムスターを見ていた気がします。(昔の話なのでどうだったか自信がないので多分そんな感じだったかな・・と)
後々ハムスターも亡くなってしまって・・、そのあと確か土に埋めて埋葬したと思います・・(ここも自信がないのですみません・・。)
今にして思えば、子供の頃に何故あのハムスターを病院に連れていってあげなかったのか・・。病院に連れて行って治療してあげればまだ変わっていたのかもしれません。
今となっては罪悪感と後悔しか残っていません。
そして、今うちには犬がいます。その子に関しては、何か異常があったり、不定期ですが病院に連れて行って見てもらっています。
何故ハムスターの時には出来なくてうちに飼っている飼い犬に関しては出来ているのか・・、本当に酷いやつだなって思います。
昔飼っていたハムスターには動物虐待・・。飼い犬に関しては可愛がっているつもりですが、自分の身勝手に飼い犬のしっぽを引っ張ったりしたこともありましたし、他にもちょっとひどいことをしてしまった事もあります。
本当にこんなひどい飼い主で、動物たちは幸せなんでしょうか。
というか、こんなに酷い事してる私は地獄に行く資格があると思います・・。
自分でも本当に反省してるのか、しないように努力してるのか、中途半端なところもあるような気がします。
お坊さんの皆さんはどう思われますか教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これからの未来を
拝読させて頂きました。
読ませて頂いて私も思い当たるところがありますね…。あなたのそのお気持ちとてもよくわかりますね。お気持ちお察しします。
私は以前子供の頃拾ってきた犬を何の世話もしませんでした。そして今も犬を飼っていますが、ちょっとでも変だと病院に連れて行きます。ですからその時期が違うとペットに対する扱い方々変わっていますね。
今思い返して私自身も若い頃はペットに対する思いやりの気持ちが欠けていたなと思っています。家族からも拾ってきた犬の世話を一切しなかったしその場だけと言われ続けていましたからね。
それからだいぶ経ってからその様な自分のしたことを深く反省し、今はしっかりとペットは家族として世話をしなければという意識が強くなりました。
私達人間はやはり身勝手なものですから自分のやっってきたことを振り返ってみて反省し初めてこれからどうするべきかという視点を持つことができると思います。そこから一歩一歩踏み出していくことができると思います。それが大切なことではないかなと私は思います。改めて命の尊さも実感できるのかと思います。
あなたの今の行動も過去の反省があってこそだと私は感じます。ですからこれから自分がどう考えてどう行動していけばいいのかをしっかりと見つめていき行動していければいいと思います。
例えばですが…過去にご縁のあったペットの子達を心から安らかにとご供養なさること、そして今飼っている子達を心から愛し育み共に生きていくことかと思います。
あなたがこれからの未来を多くのご縁に恵まる中でそのご縁をかけがえのないものとして大切に育み、思いやりながらあなた自身健やかにご成長なさっていかれます様にと切に祈っています。
そしてペットの子達と共に仏様に救われていかれ、心から豊かに幸せに生き抜いていかれます様にと切に祈っています。至心合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
過去にあったことはもう変えられないので、今飼っている我が家族を大切に愛し続けられるように頑張ります。