他人と上手くいかなく、自信も喪失
常に対人関係で距離を感じてしまっています。なぜそう感じるのかというと、自分に雑談目的で話しかけてくる人がいなかったり、休日に連絡がくる、みたいなこともない。
また、多くの人が初対面だと話せるけれど、どんどん会うたびに話すことがなくなって距離ができてしまう、といつも感じています。話した感じ目立って嫌われてるわけではないけれど、単純にわざわざ自分と話すことがないのかもしれない。また、自分と似たタイプの人の集まりであれば集団に入って会話することはできるけれど、親密とまではいかない、そして外向的な人の集まりでは完全に存在が空気になってしまう。
人と会話のネタやつながりを増やそうとあらゆる趣味なり、遊びなりに手を出してみました。しかし、それらが楽しくてやってるのではなく、単に人と繋がりたいからでやっているみたいになってしまった挙句、私自身も何がやりたいのかわからなくなってしまいました… それで結局仲良くなれた人はほとんどできずで二進も三進もいかなくなっています。
乱文で申し訳ないのですが、今の私の状態を脱却できる方法が有れば教えて頂きたく思います。やや抽象度の高い質問で申し訳ありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
先ず、自分の人生を楽しむ
こんにちは。
「対人関係」で試行錯誤しつつも、上手くいかない。
その悩んでいる様子が伝わってきます。
あなたは、質問文中で既に今後のきっかけになる視点を持っています。
「趣味なり、遊びなりに手を出し」たが、「それらが楽しくてやってるのではなく、単に人と繋がりたいからでやっているみたいになってしまった」と。
「繋がりたい」と迫られると、「人」は引きます。
むしろ、「繋がりたい」から「繋が」るというより、いつの間にか「繋が」っていた。これが自然な「対人関係」です。
また、「繋がりたい」というのはあくまで当方の希望であって、「繋が」るのか、「繋が」りたくないのかは「人」によって違います。それを、あなたは自分の視点で無理にでも相手に合わせたり、先方の意思に判断がつかないまま遮二無二に「繋がりたい」と接近しようとしたのではないでしょうか。
つまり、「人」と「繋が」っている自分になるのが目的になっていた、という傾向はありませんでしたか。そこには、主が自分、従が他者という関係性があります。
そのことは、「自分に雑談目的で話しかけてくる人がいなかったり、休日に連絡がくる、みたいなこともない」という自分視点の文章にも表れています。
あなたは、「趣味」や「遊び」を「楽しく」やるためのものだ、と理解しています。その通りです。では、その通りにやってみましょう。自分が「楽しく」開放された気持ちでいるならば、その様子が周囲には伝わります。
「楽しく」過ごしている人には、他者との壁は存在していません。一方、自らの胸に何か秘めたものを抱えた様子は他者を構えさせます。素直に楽しい、悲しい、苦しいと喜怒哀楽を表に出す人は活き活きしているし、そこに人は自然と惹きつけられるのです。仲良くなりたいな、「繋がりたい」な、と。
急がば回れです。
先ず、自分の人生を楽しむ。
そこに、自他の幸福が生まれます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
まず何とか人関係なく、自分で楽しめるものとか見つけて行きたいなと思います。
もっと人生って素直にいきたいです。