良くない思いからの脱却方法を知りたい
友人と住むようになって2ヶ月が過ぎ、2人でいるときは楽しく過ごせていることが多いです
ただ、ちょっとした一言が重荷に感じたり、傷ついたりする時があります
取り止めのない話やくだらない愚痴に「知らない」と返されたり、「そんなことするなら生活費渡さないよ」、といった発言等です
単なる友達だった私を少しでも安心できる所で過ごさせたいと、今住んでいる家や家電も全て用意してくれた人です
"知らない"は口癖、"生活費渡さない"は冗談だと分かってはいます
ただ、過去の家族の発言や姿勢がダブってしまって、悲しくなることが度々あるのです
これは私の都合なので、困らせたり負担になるだけと思い黙っています
未来のことも明るく考えられず、日々の家事で精一杯で、無気力に横になってることも多く、焦りを感じています
今は結婚を前提に一緒に暮らしているという状態で、一定額生活費をもらい、足りない場合は貯金を崩す形で、専業主婦として生活しています
いずれは私もなんらかの形で稼いで、月々の貯金額を増やしたいと言われています
学歴や経歴的に自分に向いてると思う仕事はできないため、無力感や親への強い恨みに毎日苛まれています
例えば、勉強が得意で好きだったから家庭教師や塾講師をしてみたくても、大学を出ていないからなれません
デジタルな機械類も得意なタイプなのですが、学校に行ってなかったため、エクセルの扱い方を学ばなければ事務系にもつけません
そもそも経歴的に、履歴書が必要なバイトだと雇ってもらうところまで行くのも厳しい人間です
1人で家にいるときは、ニュースを見ては、何かしらの事件の加害者や被害者が私に酷いことした人たちの名前なら良いのに、とばかり考えてしまいます
家族に限らず、今まで世界は私に厳しいと感じることがとても多く、幸せに暮らす自分というものが想像できないのです
物心つく前から周囲にいじめられ続けたり、お金を盗まれた挙句悪者にされたり、幼少時に受けた手術が誤診に基づいたものだったり、バイト先で1人差別的に扱われたり、講師に殴られた挙句揉み消されたり…これでも挙げたのはほんの一部です
私を傷つけてきた人が何かしらの報いを受けたならば、世界は私にだけ冷たいものではないと信じられるのに、少し安心できるのに、と考えてしまうのです
良くないとわかっていても止まりません
どうすれば良いでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
不安の練習をしない習慣を身につけていくこと。
拝読させていただきました。
年齢とともに経験が積み重なっていきますが、その経験の中に『否定感』の構築を蓄えてしまっていることです。
『肯定感』の癖をこれから付けていくことが肝心です。
何事も練習を積み重ねれば上達していきます。これはプラスもマイナスも同じであり、まりもさんはマイナスの練習を常々していることと同じとなります。
同棲の方も「知らない」などの発言には傷をつくことかも知れませんが、同棲の方も まりもさんのことを理解していてくれるから、「話しの続きはマイナスの話しにリンクするだろう」と予測しているかも知れません。だからこそ、マイナスの話しに囚われる まりもさんがいることを知っているからこそ、「知らない」と振り切った発言をしてくれ、否定感の環境を作らないようにしてくれ、肯定感の環境に引っ張ってくれているように感じます。
過去は誰もがあり、すべての人の過去には汚点や苦い思い出や、振り返れば恥ずかしいこと、辛いことがあります。しかし、過去は戻らなく、過去を引き摺ってまで今を生きることはとても重荷となります。
例えば旅行に行くときに、家の家財をすべて持っていけることもなく、身軽で旅行に行きます。すると軽々と旅行を楽しめます。しかし、荷物(過去)を引き摺ったり、背負ったりしていては旅行(今)を楽しめなくなるのです。
今だけを生きる練習を。すると明日になればまた今になります。また明日になれば今になります。だからこそ、今だけに専念すれば、過去の思考をポジティブにしておけば、常々今を楽に生きていけます。
今からは「過去に感謝できる今の生き方を心がける」ことを練習からはじめて見てはどうでしょう。
必ず変化していきます。
蓮という清らかで綺麗な花は、キレイな水からは咲かないのです。泥水の中であるたくさんの濁った環境により、立派な蓮華を開花させるのです。
「わたしは変われる。わたしの人生を楽しくさせてやる。」そういつも言い聞かせていくことも少しずつ変化していける練習です。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます
今友人と暮らす道に辿り着いたことは、本当に良かったと思っています
それまでの過去は、何があっても肯定する気にはなりませんが(家族を許す様に感じてしまうので)、良い出会いもいくつかはありました
そのことは忘れずに、これからは日々を楽しむことを重ねていけたらと思います
言い訳になるのですけれど、私は別の友人が年単位でひたすら過去のいじめの話を聞いてくれたことで、こだわりから抜け出した経験があるのです
それをまた求めてしまっているのかもしれません
時間は等しく過ぎるので、早く脱却したいと思います