逝く道への想い
昨年2月、癌との闘いを頑張っていた母が逝ってしました。
母を愛していたので……哀しく、もっと何かを…何かを…の後悔ばかりを考える日々を過ごしていたところ
その約半年後の8月、兄が自らの意思で逝ってしまいました。
母の死は余命宣告を受けていましたので、その時の覚悟は少しは出来ていましたが
兄の死は想像すらしておらず、まして自らの意志で…強い意志で逝ってしまうなんて本当に考えてもいなかったのです。
現在も哀しみと向き合う事が出来ず、後悔ばかりです。
兄の死を知る3~4日程前、首から背中にかけ、急な激痛におそわれ
その痛みは兄の死を知ると共に治まりました。
今想えば、母が知らせていたのだと想えてならないのです。
何故、私はその身体の異変を変だと想わなかったのか…
何故、二人きりの兄妹なのに電話をかけ『何か変わったことはない?』
と、兄を気遣わなかったのか…
兄が心の病と闘っていたことも知っていたのに
何故私は兄へ連絡を取らなかったのか…
兄も私を愛していたし、私も兄を愛していたし
なのに、何故…何故
私は兄の逝く道をとめられなかったのか…
どんな想いでいたのか…何を見ていたのか…何を感じていたのか…
どんな気持ちで一人逝ってしまったのか…
考えれば考えるほど胸が張り裂けそうで…
穏やかに笑みさえ浮かべて眠る兄の顔に
兄の意志なのだから 兄の意志を尊重しよう
穏やかに過ごせるところを探して逝ったのだから
兄の意志だから…と、
何度も何度も自分に言い聞かせてはいるのですが
あの時、私が気づいてあげていられていれば
何かが変わったのかもしれなかったのに…
でも、気づかなかった事が兄の為にはよかったのか…
想いが右往左往して混乱しています。
私が想いすぎると兄は母のもとへいけませんか?
母には逢えたのでしょうか…
きちんと三途の川を渡らせてもらえたのでしょうか…
この世で苦しみ哀しんだのだから
あちらでは苦しみませんよね?
私は 兄の母の傍へいきたいです
何故私をおいて逝ってしまったのか…
私を連れて行ってほしいのです
文章が定まらず申し訳ございません。
お坊様…愛する母の死、愛する兄の死
その哀しみと向き合うことが出来ません…
受け入れる事が出来ません。
私に出来る事があったはずなのに…
何も出来なかった己が辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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どうか安心してください
心からお悔やみ申し上げます。
お母さんのこと、お兄さんのこと、思ってあげていいのですよ。
泣いてもいいのですよ。
死についての受け止め方は宗教や宗派で様々です。
浄土信仰では、人は命が尽きると極楽浄土にいくという教えを拠り所としています。
三途の川は通りません。
阿弥陀様がお母さんとお兄さんを一瞬で極楽浄土に連れて行ってくれるのです。
極楽浄土でお母さんとお兄さんは再会したことでしょう。
それだけでなく、極楽浄土にはたくさんのご先祖様がいます。
お母さんもお兄さんも寂しくないのです。
そして、病も苦しみもありません。
どうか安心してください。
今は極楽浄土からあなた達を見守っていることでしょう。
お兄さんが亡くなった時のあなたの背中の痛みは何かの知らせだったのかもしれません。
しかし、お兄さんが亡くなった事はあなたには責任はありませんよ。
お兄さんは心の病で亡くなったのです。
お兄さんはお兄さんなりに人生を頑張ったのだと思います。
そして寿命を全うしたのです。
そこには後悔も恨みも無いのです。
あなたがお兄さんを思って悲しんでくれること、供養してくれることをお兄さんは喜んでいると思います。
極楽浄土から見守っているお母さんやお兄さんの為にも、あなたの日々頑張っている姿を見せて安心させてあげてください。
いつか再会するときまで。
合掌
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
聖章様、回答をありがとうございました。一瞬で極楽浄土へ導かれたのですね…ご先祖様と母に逢えたのですね…涙がとまりません。それと同時にやはり私の内にある想いも消えません…想像してしまうのです…兄の最後の瞬間を……その時の兄の涙を……。ダメですね…こんなでは母も兄も安心出来ませんね。でも、お坊様から頂けたお言葉を冷静に何度も何度も読み返し、心の葛藤と向き合おうと想います。聖章様、本当にありがとうございました。