最愛の母を亡くし悲しくて仕方ありません
先月母が他界しました。5ヶ月間ずっと母を付きっきりで介護して最後看とりをしました。ずっと病に苦しんでいる姿を見ていましたので、早く楽にさせてあげたいという思いと、母と離れたくない思いと両方がありました。今母がいなくなり、悲しすぎておかしくなりそうです。仕事中や人前では泣くことはありません。でも1人になると、買い物したり、車を運転したり、家にいると涙が止まりません。これから毎日母を忘れたくないので、悲しくても母を思って過ごしたいです。人は早く忘れて前を向いて頑張れと言います。でも出来ません。これからもずっと悲しんでいても思っていてもいいでしょうか?そんなだったら母が喜ばないと言われますが、本当でしょうか?1人になった時だけ、コントロール出来ませんが、他人に迷惑をかけているわけでもありません。母を思うことが、今の私の生きる支えです。私は大丈夫でしょうか?
最愛の母を亡くし悲しくて仕方がありません。
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思考をコントロールできていれば大丈夫
お母様のことを考えると悲しみや淋しさがわいてくる、それがわかっていてもお母様のことを考えたいのですね。
つまり、あなたご自身の意思で思考をコントロールしているのでしょう。
それであれば大丈夫だと思います。
お母様のことを考えたいときには考え、考えてはいけない時間は考えないでいられる。
思考の制御は感情の制御。感情の制御はストレスの制御。
もしも私があなたの親なら、悲しみのストレスでわが子が苦しむ姿を喜ばないとは思います。
しかし、あなたが「わざとやっているのだから平気です」と自信を持って言えるなら、見ている方も安心できます。
さて、浄土宗では、南無阿弥陀仏の念仏で誰でも極楽浄土に往生できると考えます。
お母様には一足先に極楽浄土の菩薩様(阿弥陀仏のお弟子)に成っていただいて、あなたもいつか菩薩様の仲間入りをしてお母様と再会できるようにと、願いを込めて「なむあみだぶつ」と唱えるのも良いと思います。
お母様にもあなたにも、明るい未来の寿(いのち)がある。
それは仏・菩薩の仲間になって生きとし生けるものを救う側になる未来です。
合掌
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶつ、なむあみだぶ。
礼拝
質問者からのお礼
これからも母のことをずっと思い続けようと思います。そうすればきっと会えると思うからです。ありがとうございました。