ふとした衝撃で思考が過去に戻されてしまう
過去をどう捉えて、今をどう生き、未来をどう考えたら良いのかわからなくなる時があります。
色々な所で質問や相談をしてみて、良い回答も貰いました。まずは自分に負けてはいけない、過去の自分を今の自分が引っ張ってあげるんだと少しは前向きに捉える事も出来ましたが、やはりふとした衝撃で過去のあやまちや後悔、恥などがフラッシュバックして情けなくなります。過去を変えられない限り、考えても仕方が無いと言う事をわかったいてもです…。そもそも、過去について考え込むから、更に後悔を生んだり、今に集中出来なくなってしまうのかもしれませんが…どうしても、前向きな姿勢や心を保つ事が出来ません。
自分に関する事なら自業自得ですが、傷付けたり迷惑をかけてしまった相手には昔の事でも申し訳なくなりますし、良く言ったらそれで反省したなら1つ学んだと言う事なのかもしれませんが、人に迷惑をかけたりせず学ぶ事は出来なかったのかとか自分を追い込むように考えたり、自分は幸せを望んでも良いのかとも考えてしまいます。
もちろん、自分も傷付いた事はあります、裕福な思いばかりした訳でもないです、充実していない方だと思います、それでも私はもっと控えめにいなければいけないとどこかで思っているのか、元々地味なのがより地味になってもいます。余計に、人間関係も薄くなったりどんどんあまり良くない方向に進んでるのではとも感じますが、何も起こらないならそれで良いのかなとかと思ったりします。
自分がもうわかりません。はっきり出来ません。どう生きていて良いのかわかりません。所詮、どのように生きようが、全員に好かれる事もなければ嫌われる事も無い、むしろ誰も見ちゃいないかもしれませんが…。
どうしてこんな思考になってしまうのでしょうか。また、どうしているべきなのでしょうか。
長文で申し訳ありません。どうしても相談したくて、書けるだけ書かせていただきました。
アルバイトしている22歳です。家族は両親と妹が1人います。過去に色々ありすぎて、大人になった今でも学生の頃の嫌な出来事を思い出して、自分でも嫌だと思う自分を変えたいのに前に進めずにいます。そこで、こちらのサイトを見つけて質問してみようと思いました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは過去ではない
それは過去ではないのです。今。今、あなたがあなたの頭の中で思い起こしている脳内情報。今日思い出したてホヤホヤの今日の今の案件。それがたとえ何年前の事であろうが、それは事実ではなく記憶や脳内情報である以上は今の現実ならざるもの。
事実と思いは別物と心得るべきでしょう。
そして、その思いというものはいつも同じ思いを起こしているとしても、毎回毎回、真新しの今の一念。
あらゆる煩悩も雑念もみな今の一念。
そして、今の一念とは「読んで字のごとく、今の心と記して念。」
その思いをいつまでも思い起こして引きずっているのを残念という。
幽霊が髪の毛を引きずっているのは過去を引きずり、過去を生きている様子。
恨めしい不安な表情で青ざめているのは未来を怯えている様子。
地面に足がついていないのは今を生きていない様子。
幽霊とは外にいるんじゃァないのです。みな思いにとりつかれている今のあなたの様子なのです。そういう様子を残念という。思いが残って成仏できていないことをあらわしたものです。
その過去を思い続けて、未来を手前にひきよせては今現在を見失っている様子が迷いであり、今の事実を見失っている様子です。
成仏するとは今を生きる事。今日に足つけて現実離れすることなく、思いの世界に引きずられることなく、今ここの毎秒毎秒、毎瞬毎瞬、真新しの無垢清浄の事実を生きることが成仏、仏道の成就、自己の本来性を明らかにすることなのです。
それはこの理屈や説明を聞いただけでわかっただけになってはいけない。
自分が常日頃、自分の思いにしばられ、自分の思いに苦しめられていることを知ったというだけでは、自分の思いから解放されることはない。そのフラッシュバックやトラウマを思い起こしては毎回毎回、そこにネガティブなお手付きをしていることを自分できちんと気づくこと。そして、その負のループをしない、させない、毎回同じ反応をしない事。
思いというものがそもそもいつどこで発生しているかを見極める。
念の来たる所をみつめる。
そして、その来たる思いに対してついついいつも同じ反応を繰り返す己を制する。
それがあなたの真の主人公であり、思いにうち五勝つことのできる心の動かし方というものです。野放図であってはいけません。自分の思いが発生させた思いを勝手に自分がタッチしていることを今すぐ見抜いてください。
触らぬ一念にさわりなし。
質問者からのお礼
ありがとうございました。