罪悪感と恐怖を忘れられない
先日撮影禁止の場所だと知らずにカメラを向けてしまい、後ろの席の方に椅子を蹴られ暴言を吐かれました。周りの方が普通に撮影しており、撮影していいものだと思い込んでしまいました。椅子を蹴られたあと驚いてフリーズして固まり、そのまま無視してしまいました。蹴られた感覚と声の恐怖感が今でも忘れられません。
今思うと撮影禁止などの看板があり私は本当にそれに気づいていなかったのだろうか、目に入っていたのではないかなどとずっと考えてしまいます。カメラを向けた私が明らかに悪いのに「ここ撮影禁止ですよ」などと声をかけてもらえたら、振り返り謝罪や注意してもらったことに感謝出来たのになどとその方にも強烈な怒りも湧いてきます。私の罪が無くなる訳でもないのに撮影していた人もいるのにたまたまその人の前に座った私も運がなかったなどと自分の行動を棚に上げて思っていることにも自己嫌悪と罪悪感と怒りで何も手につかずもう消えてしまいたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心より祈ってます
拝読させて頂きました。
あなたがその様な思いをなさっておられることはとても伝わって参ります。
暴言を吐いたり椅子を蹴ってくることはやはり悪いことでしょうからその方のことはできればスッキリ忘れましょう。正論を言って人を攻撃することは罪悪です。
その方のことは忘れましょう、忘れられなければしっかりと線引きしましょう。
あなたがそこで撮影したことはやはり悪いことですからね。
先日も私が本山に行った際に撮影禁止と促しているにも関わらず本堂内で法要中に撮影している方がおられました、ですから注意させて頂きました。そうは言ってもなかなか受け入れてくれない方もおられます、本当に残念なことだと思っています。
どうか真摯にあなたのなさったことにお向き合いなさり反省なさり、その様なことをしてしまい悪かったと心の中で謝りましょう。そしてこれからは充分周りのことを注意しながら撮影等をしましょう。悪いことを人がやっているから自分もやっていいということにはなりません。
あなた自身に向き合ってこれから誠実に生きていきましょう。そんなあなたのことを仏様も神様のあなたのご先祖様もいつも見守っていて下さいるのです。神仏やご先祖様はあなたのことをいつもお見守りなさりながらあなたが悪しきことをなさらない様に善き心がけで善き言葉や行いをなさって下さいます様にとお導きなさっていて下さっているのです。
あなたがこれからの未来を悪しきことをなさらずに善意や善言や善行を心がけて毎日を心から豊かにお健やかに生き抜いていかれます様にと切に祈っています。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
恐怖から周りの方もやっているからと自分を正当化して忘れようとしていましたが、自分のやってしまったこと周りが見えていなかったことをまず反省しようと思います。そしてその事とは別にその人のことは忘れられたらと思っています。
自分自身の至らないところに気づかせていただき本当にありがとうございます。