身近な人が、不治の病になるのが怖いです
母親が、ガンで日に日に悪化して弱っていく姿を見てから、病気が極端に怖いです。旦那さまが咳をしただけで、肺ガンじゃないかと思い、会社を休んで病院に行ってとお願いして、怒られた事もあります。
現在、家で飼っているセキセイインコが闘病中なのですが、私にとっては掛け替えのない存在であり、居なくなったら耐えられるか分かりません。人だけではなく、このような小さな生き物でも、弱っていく姿を見るのは辛くて仕方ありません。
考えても仕方の無い事ですし、限りあるからこそ、一日一日を大切にとは思いますが、病気の症状や元気の無い姿は、私をパニックに陥れます。どうすれば、この恐怖を乗り越えて、毎日幸せに過ごす事が出来ますか?
病弱な両親のもと、一人っ子として生まれました。父親は無口で優しく、母親は自己犠牲の人で過保護でした。父親は職業病(じん肺)で、母親はガンで、私が成人前に亡くなりました。私の性格は、真面目で人の目を気にします。嫌われるのが怖くて、本音が言えません。既婚ですが、子供を愛せる自信がなく、子供はいません。鳥が好きです。今愛せるものがあるとすれば、一緒に暮らしているセキセイインコです。1番恐れていることは、病気。自分もですが、大切な人、動物が病気になって弱っていく姿を見たり、自分の元から居なくなってしまうことです。
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死に怯えるのではなく、繋がり続けるものを支えに。
諸行無常であるとわかっていても、大切な人 愛おしい人との別れは、耐え難いですよね。
プロフィールも読ませてもらいました。死別の経験から、もうこれ以上、誰も失いたくないと強く願い、死を考えるのが悲しく辛くなりますね。
私は日頃、臨終の場にいますから、大切な人をたくさん看取ってきました。感謝もありますが、なぜ、寂しい、会いたいと複雑な気持ちになります。
そんな時は、ご家族と亡き人の話を大切にさせてもらったり、いのちの拠り所に手を合わせ向き合います。私との縁を思い出しながら、そこにはいつも仏様がいてくださったから。一緒に手を合わす時間が、何より気づきやお育ちに繋がったから。こうして、また遇えるんだなと、別れじゃないんだなと、手を合わせるたびに安心をいただいています。
私には、信仰がその人との繋がりであり、今を支えられています。
亡くなったら終わるわけじゃない。その人が残してくださったものに、今もこれからも、支えられ、共に生きていくのです。
死に怯えるのではなく、繋がり続けるものを支えにしていけたらね。