遠回しに言葉を伝える日本の文化への疑問
いつもご回答ありがとうございます。
日本独特の、傷つけないように遠回しに言うという文化に疑問を持ったので質問させていただきます。
日本語には、何となくストレートに言葉を伝えることは良くないというような文化があるように感じます。上手く言えないのですが、簡単に言うなら単語で済む話を、相手を傷つけないように〜というような理由で、ものすごーく遠回しに言うことに違和感を感じるのです。
確かに人を攻撃する言葉は相手も傷つくし、自分にとってもいい気持ちになるものではないので、良くないとは思います。しかし遠回しに言われて、後々本当の意味を知って傷つくこともあると思うのです。
以前海外の友人にも、「日本人の会話は簡潔明瞭じゃなくてすごく分かりづらい」と言われたことがあり、日本人同士でも伝わりにくいのに外国人から見たらなおさら分からないのだろうと思いました。
この日本独特の言い回しは、何か仏教の考えから来てるものなのでしょうか?それとも日本人の性格の話なのでしょうか?
・怒りや悲しみ、つらさや不安などマイナスな感情を外には出さず抱え込む ・看護師をする中で抱いた、命の大切さに対してのジレンマ。 ・仕事を続けることができず、ダメな奴と自分で自分を責める
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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素敵な文化ですが
人を傷つけたくない、けれども思いは伝えておきたいという心理からきているもので、それは誰にでもあるのではないかと思います。
「私は傷つけようと思ってませんよ」ということ、「あなたのことを思って言ってますよ」ということの表れなのでしょう。
感情をストレートにぶつけると諍いが生まれやすかなります。できるだけ争いごとを避けたいと思うのでしょう。
あまりに相手の気持ちを考えすぎて想いが伝わらないのでは意味がないから、伝えたいことがあればそれを伝えることを最優先にすることでしょう。その時に思いやりも添えておくことは大切だと思います。
案外伝えた方は遠回しでも言えたことでスッキリしているということがあるのかもしれませんね。伝わらなければそれはそれで気にしないで良いのでしょう。あまりに相手にどう思われるかを気にしすぎないことです。相手の問題のようでそれが自分の問題になっていることにも目を向けておきたいですね。
和を重んじる文化
おっしゃるとおり、遠回しでまどろっこしいですよね。
聖徳太子は仏教を政治に取り入れ、和を重んじました。その影響はあるかもしれません。
江戸時代なんかは、人々は藩に縛られて簡単に引っ越しできなかったでしょう。
ということは、地元で揉め事を起こさず平和に暮らす必要があったでしょう。
また一方で、日本は、砂漠の国などに比べれば農作物も水産物もあり、仲良く食べ物を分け合えばなんとか皆が食べていけます。
ですから、日本では常にガチバトルのようなケンカ越しは必要なかったのかもしれませんね。
質問者からのお礼
お二人のお坊さんからお言葉をいただき、驚きました。ありがとうございます。
日本のこれまでの歴史背景もあるのかもしれないということで、非常に面白いなと思いました。
伝えたいことを伝えつつ、そこにどう相手への思いやりをのせるか。考えながら試行錯誤してみたいと思います!