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断れない性格を直したい。

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有り難し有り難し 13

断ることが苦手です。
強くお願いされ続けるとやりたくない事も何とかなるかもと引き受けてしまいます。
しかしそこに責任感はなく、やっぱりいいかとやり遂げる事が出来ません。
本当に最低の人間で嫌になります。
直近の美容室の予約などもよくキャンセルしてしまいます。
迷惑なのは重々承知ですが、
どこか甘く見ているのだと思います。
断り方、責任感の持ち方等、人として当たり前の部分ですが教えて頂きたいです。

2022年5月28日 11:43

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

正しい価値 確かな価値 確かな尊厳 確かな礼節

そもそも作法や礼儀というものは必要性か生まれてきたものです。🐴ヒヒーン
馬の後ろに立つと蹴り飛ばされてしまいますから立ってはならないのが法に適ったありかたです。危険な目に遭いたくなければ近寄らないのが作法であり、身の安全です。誰かに何かを頼まれた、断るの怖いから、嫌われるから、イヤな印象を与えたくないからという理由があるとしますが、これらはみな自分が損なわれることをおそれていると思いませんか?
ことわりずらい性格というのは保身の仕方を間違えているのです。
保身は悪いことではありません。
そのかわり最高最上のクオリティの保身をするべきなのです。
断ると自分がなにか悪い目に合うんじゃないかな?といって自分を安売りしてやりたくないことを引き受けたら結果的にもっと自分を損ねることになるでしょう。
だからこそ、正しい価値、確かな価値を見失わないことです。
相手に断るのが悪いという理由で自分を損なわないためにも。
アナタにも尊厳があります。
だから、あなたの尊厳を守るためにも堂々と胸を張って断るべきことは感謝しながらでも断るべきです。
ありもしないことをおそれて不安を起こす心を臆するといいますが、臆するという心理をよくよく観察してみることです。
実際に起こりもあしない事、最悪の事態を勝手に想像しているだけなのです。
価値と尊厳。
これを大事にして頂ければと思います。
尊厳を重んじることで相手の時間も奪ってはいけない。相手との約束、相手の利権も奪ってはいけないということが見えてきますので、相手に負担をかけるような直前キャンセルもやらないようになるでしょう。
作法とは、あるべきようから生まれた精神です。
礼儀、礼節もまたお互いの尊厳を尊重する精神から生まれたものです。
お互いお互いの時間、人生、尊厳を尊重して作法として礼節を尽くせばおのずから相手に対する態度は定まってくるものです。

2022年5月28日 17:10
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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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