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お経や真言についてなのですが

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有り難し有り難し 39

ネットで般若心経や不動明王、真言を唱えると幽霊が寄ってくる、危険、呪いの言葉というの書いてあるサイトを見たのですが、リラックス効果や厄除け効果があると聞いてたまにですが唱えるので
デマだと思うのですが気になりまして、モヤモヤしたので質問させていただきました🙇‍♀️
回答お願いしたいです。
#般若心経 #不動明王真言

2022年6月17日 23:15

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そこに菩提心をそえて

よく知らない人はとやかく適当なことを言うものです。
そもそも真言、マントラ、経典、仏教語、その内容は人をして安楽・叡智・慈悲あふれる心へと導くものです。
当時のインドの言葉として翻訳しても別に霊を呼び寄せたり、呪いをよびよせるような言葉はなにもありません。(´-`*)
むずかしく考えずとも人間の心理としてアンチ仏教の人たちや、思い込みの強い人たちが仏教の事がよくわからないので悪く言うのではないでしょうか。

大切なことはどんなものも用い方。転じ方。向かわせ方。導き方というものです。

先日骨とう品屋に行きました。
当時、江戸の世の中、電気の無かった頃は夜に行燈というものを用いておりました。陶器のお皿にあぶら、芯。
時には火災もあったでしょう。
別に火が悪いんじゃァなくて、用い方が。
その後、電気が発明されて照明が世の中に広まった時、
❝夜がなくなった❞と当時の人は言ったそうです。
その後、電気の用い方、使われ方はどうでしょうか。
近隣国では電子レンジ兵器を作ったり、人を殺傷する様な用い方もされています。
用い方。人間性。導き方。
お経や真言、禅語、仏教の教えというものはそこに菩提心という救済精神があるとなお良いとされています。
菩提心とはたとえ自分がいまだ無上の菩提・涅槃という最高の心に到らずとも、先に世の中の困っている人たちを助けてあげようとする精神です。
大正・昭和の名僧、飯田とういん禅師は人は菩提心からうまれて菩提心によって共鳴するものだということを説いておられます。
菩提心が無いと、悟りを得ても新興宗教の教祖様のようにエゴの為に活動するようになってしまうところがどうしても人間にはあるものです。
現在のお坊さんの世界でも仏法よりも自己実現欲求が先立ってしまう人は割と多いのではないでしょうか。
それはいつの時代でもそうでした。
親鸞聖人もお弟子さんを破門しておられます。
白隠禅師もはやくに印可を認めた弟子に対して後悔されています。
道元禅師も名声利欲にとらわれたものを僧堂から追い出して坐禅堂の単の下の土まで掘らせたという逸話が伝えられております。
仏法を護持する精神というものはその位のものだということも念頭に置いておかれるとよいでしょう。
だからこそ大切な精神は菩提心です。これをきっかけにさらに菩提心を奮い起こして利他、回向、衆生済度の精神を高めてください。

2022年6月19日 9:22
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

こんにちは。

 「呪い」で思い当たったのですが、そういえば真言の題名として「○○呪」「○○咒」などと付いているので、この字を見て勝手に「災いや不幸が起きるように祈る」の意味に捉えた人が、何も知らないのにネットなどに載せたのではないかと想像します。これらのお経は「災いや不幸が起きるように祈る」意味での「のろい」の言葉ではなく平たい言い方をすれば(これだと他のお坊様に怒られる表現かもしれませんが)「おまじない」といった意味合いだと思います。
 それらのお経の内容は「幽霊が寄ってくる」ものではありませんが、幽霊が寄ってくる事が良くないのかなぁ?あなたを大切に思うご先祖様が守りに来てくれたらうれしいですよね?
 リラックスの事はよくわかりませんが、お経の内容に関係なく、お経に集中したり声を出したりすることで副次的にリラックスの効果があるのかもしれませんね。

2022年6月19日 9:29
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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます、唱えているときに雑念が入って他の人が浮かんだり、一瞬考えてしまうことがあるので、少し不安になってしまいましたがご回答を聞いて安心いたしました、ありがとうございます、深謝です🙇‍♂️

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