お経や真言についてなのですが
ネットで般若心経や不動明王、真言を唱えると幽霊が寄ってくる、危険、呪いの言葉というの書いてあるサイトを見たのですが、リラックス効果や厄除け効果があると聞いてたまにですが唱えるので
デマだと思うのですが気になりまして、モヤモヤしたので質問させていただきました🙇♀️
回答お願いしたいです。
#般若心経 #不動明王真言
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そこに菩提心をそえて
よく知らない人はとやかく適当なことを言うものです。
そもそも真言、マントラ、経典、仏教語、その内容は人をして安楽・叡智・慈悲あふれる心へと導くものです。
当時のインドの言葉として翻訳しても別に霊を呼び寄せたり、呪いをよびよせるような言葉はなにもありません。(´-`*)
むずかしく考えずとも人間の心理としてアンチ仏教の人たちや、思い込みの強い人たちが仏教の事がよくわからないので悪く言うのではないでしょうか。
大切なことはどんなものも用い方。転じ方。向かわせ方。導き方というものです。
先日骨とう品屋に行きました。
当時、江戸の世の中、電気の無かった頃は夜に行燈というものを用いておりました。陶器のお皿にあぶら、芯。
時には火災もあったでしょう。
別に火が悪いんじゃァなくて、用い方が。
その後、電気が発明されて照明が世の中に広まった時、
❝夜がなくなった❞と当時の人は言ったそうです。
その後、電気の用い方、使われ方はどうでしょうか。
近隣国では電子レンジ兵器を作ったり、人を殺傷する様な用い方もされています。
用い方。人間性。導き方。
お経や真言、禅語、仏教の教えというものはそこに菩提心という救済精神があるとなお良いとされています。
菩提心とはたとえ自分がいまだ無上の菩提・涅槃という最高の心に到らずとも、先に世の中の困っている人たちを助けてあげようとする精神です。
大正・昭和の名僧、飯田とういん禅師は人は菩提心からうまれて菩提心によって共鳴するものだということを説いておられます。
菩提心が無いと、悟りを得ても新興宗教の教祖様のようにエゴの為に活動するようになってしまうところがどうしても人間にはあるものです。
現在のお坊さんの世界でも仏法よりも自己実現欲求が先立ってしまう人は割と多いのではないでしょうか。
それはいつの時代でもそうでした。
親鸞聖人もお弟子さんを破門しておられます。
白隠禅師もはやくに印可を認めた弟子に対して後悔されています。
道元禅師も名声利欲にとらわれたものを僧堂から追い出して坐禅堂の単の下の土まで掘らせたという逸話が伝えられております。
仏法を護持する精神というものはその位のものだということも念頭に置いておかれるとよいでしょう。
だからこそ大切な精神は菩提心です。これをきっかけにさらに菩提心を奮い起こして利他、回向、衆生済度の精神を高めてください。
こんにちは。
「呪い」で思い当たったのですが、そういえば真言の題名として「○○呪」「○○咒」などと付いているので、この字を見て勝手に「災いや不幸が起きるように祈る」の意味に捉えた人が、何も知らないのにネットなどに載せたのではないかと想像します。これらのお経は「災いや不幸が起きるように祈る」意味での「のろい」の言葉ではなく平たい言い方をすれば(これだと他のお坊様に怒られる表現かもしれませんが)「おまじない」といった意味合いだと思います。
それらのお経の内容は「幽霊が寄ってくる」ものではありませんが、幽霊が寄ってくる事が良くないのかなぁ?あなたを大切に思うご先祖様が守りに来てくれたらうれしいですよね?
リラックスの事はよくわかりませんが、お経の内容に関係なく、お経に集中したり声を出したりすることで副次的にリラックスの効果があるのかもしれませんね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます、唱えているときに雑念が入って他の人が浮かんだり、一瞬考えてしまうことがあるので、少し不安になってしまいましたがご回答を聞いて安心いたしました、ありがとうございます、深謝です🙇♂️