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声をはる

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有り難し有り難し 9

ぼくはいつからか、声を大きく張ってだすことが苦手になってしまいました。

中学までは、声をはったりするのは
簡単だったのですが

ここ最近、人前で話したり
先輩に話す、同学年にも緊張するようになってしまいました。

自分としては直したい

結果的に、ん?
なに? と聞き直される日々です

体育大にいるので不安で

友達もできにくくなります

早く数年前の自分に戻りたい。。。。。

なんでだろうと、自問自答のまいにちです。

声を大きくだすのは簡単なことなのになぜだろう。。。

また、積極性もなくなりました。。
精神てきなものかな。。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「心身相関」という言葉をお聞きですか。

すべてのものを細分化して研究してきた西洋医学の中にも、最近では「心と体は、実は様々なつながりを持っている」ことに気づき、総合的に患者さんを看ていこうという動きが広がってきました。
声を出したり、話をする時、自分の心身の状況やその場所の雰囲気、聞いてくれる人の様子など、様々な要因が影響を与えます。Tanakaさんご自身が気づいている通りです。

そこで、これからの2つの提案です。まず、呼吸への意識です。人間は、不安や心配・怒りを抱えると、呼吸が浅く、早くなります。すると、ゆっくり大きな声で発声や発話をすることが物理的に難しくなります。自分が落ち着ける場所・時間・相手を探して、ゆっくり大きく呼吸が出来て、自然に話が出来る体験を積み重ねることです。お寺やお仏壇に参ってゆっくりお経を唱えることもおすすめできる方法です。その体験で自信が戻ってきたら、もう大丈夫です。
そして、もう一つ。今回のように大きな声を出しにくくなったり、積極性がなくなってしまう体験を忘れないということです。体育大にいると、健康であること、元気であること、大きな声が出せることは当たり前だと思われているでしょうけれど、今後、Tanakaさんが出会うのは、そのような人ばかりではありません。病気やけが・ハンディーを抱え、自分になかなか自信が持てない子どもや若者、そして大人もたくさんいます。その人たちのつらさや不安は、体験した方でないとなかなかわかりません。Tanakaさんは、この度の体験で、両方の人の気持ちを知ることが出来たということです。
元の戻ることだけをめざすのではなく、今体験し・考え・感じていることも人生の肥やしにして、さらに大きく幅広く成長してくださるとうれしいです。

このハスノハへ勇気を持ってお声かけを頂き、有り難うございました。Tanakaさんのこれからを、ハスノハが応援しています。ご縁に感謝!!合掌

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有り難し
おきもち

個別相談可能
1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。実家の西福寺で中高生を主体とする「るんびに太鼓」に所属、演奏・指導経験を通して、「人は、支えられてこそたくましく生きてゆける」と体感。青少年よみがえりの場「短期るんびに苑」にも関わる。   平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。ご法話や講演などをご希望の方は、遠慮無くお声かけください。  グリーフケアアドバイザー1級 発達障害コミュニ ケーション初級指導者 つどい・さんあい運営委員
ご相談時間はご希望をいくつかお知らせくださいね。 ◆「絵本のお坊さん」として、絵本を通じて人生を見つめ直す活動を行っています。◆死別、離婚、退職、不安など、様々な喪失を抱える方のお話に寄り添い、仏道の教えを分かち合いながら心を癒すお手伝いをしています。◆資格:グリーフケアアドバイザー1級、発達障害コミュニケーション初級指導者。

南無妙法蓮華経のお寺に行きなさい

南無妙法蓮華経は、顔を上げ、腹の底から声も惜しまず何度も唱えるのが正しい唱え方です。
風呂の中で屁をこいているようなのはいらん。
日蓮宗、法華宗のお寺に行き、「お題目を唱えさせてください」と言えば本堂に案内されます。
声が枯れるほど大声を出してよろしい、それが南無妙法蓮華経のお寺です。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ