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どうしたらいいかわかりません。

回答数回答 1
有り難し有り難し 15

夫婦で臨時で働いているため貯金ができずにギリギリで生活しています。
夫が飲みや趣味にさそわれることに怒りが抑えられません。
わたしも行けばいいのかもしれませんが、お金がないので行く気にもなれません。
大人は正規になるまで我慢と思っています。
それでもやっぱりギューギューだと疲れてしまうので、家族で楽しい事するのにお金を少しだけ使ったりしています。
夫も気にして飲みに行く事もだいぶ控えています。
ただ趣味を断っているのに何度も何度も誘ってくる人がいます。
私はそれにイライラしてしょうがありません。
旦那もことわり切れなくなってきています。

人との交流や付き合いは大切なんだと思いますが、今は仕事と家の事で手いっぱいで、ほっておいてほしいのが本音です。
旦那の本音はわかりませんが、今家の事子供のこと2人でやっているので、お金がなくても楽しく過ごしています。
家のことを手伝ってくれないで趣味に行かれると私は、どうにかなりそうです。
心が狭いな。と感じますが、抑えられません。
どうしたらいいでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何も問題がない

夫、浮気してるわけでもない。
子、非行に走ってるわけでもない。
私、大きな病気で入院してるわけでもない。
お金がないのは窮屈で時にみじめです。
でも、携帯電話が持てないほどではない。
一家離散とまではいかないのなら、こんな大きな幸せが他にあるだろうか。

有名人でない限り私達はみな雑草のようなもの。ほとんどの家庭は地味な生活をしています。上も下も見なくてよろしい。家族の幸せだけを見つけましょう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございました。

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