新興宗教について
今、母が受けた新興宗教を亡き母の代わりにしています。先祖供養という宗教でお金も会費だけであまりかからないのですが、今起こる事は過去世に自分がしてきた事だから、ご先祖さんにお経をあげて救わせてもらって因縁さんに謝る。という考えです。自分のした事は返ってくる。というのは聞いた事がありますが、本当にそうなのでしょうか?宗教を否定するわけでもなく、一生懸命されている方は素晴らしいなぁ。と思いますが、自分の未熟さなのか、新興宗教をしていない時でも事故に遭っても無傷だったり、ご先祖さんに守って頂いてるように思い、今の宗教に半信半疑でいます。家は浄土真宗なので、やめようと思いますが、悪いものではないと思うので、正直迷っています。それがある事で悩むようなら、やめたほうがいいでしょうか?よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
やめるやめないは別にして、、、
「因果応報」や「因縁」は仏教語なのは周知の事実と思いますが
その細密な解釈はそれぞれです。宗派でも個人でも違います。
まずはそれを大前提として、、、
ある因縁の例えを作ってみました。
Aさんはトマトが苦手です。なぜか、それは母親が嫌いであまり食べたことがなかったから。
じゃあ母親はなぜ嫌いか、それは母親の母親が嫌いであまり食べたことがなかったから。
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となると、トマト嫌いは「先祖からの因縁」という言葉にもできそうですね。
でも、トマト嫌いは工夫や努力で食べれるようになります。
この時、「因縁は断ち切られた」と言えるかもしれません。
仏教は自分がよりよく生きるための教えです。
上の例で申せば「トマトが得意なほうが人生よくなる」なら工夫や努力するだけです。
「別に一生トマト嫌いで困らない」なら、それはそれでいいわけです。
自分の因縁に対する決断は、自分ですればいいんです。
あと、信仰してても事故にも病気にも悪いことにもあいますよ。
仏教は「いざその時にいかに平静に対応し受け入れることができるか」がテーマと私は思ってます。
正確なお答えにはなっていないと思いますが、天まで届けさんが自分で考え、自分で決めるべきことです。「決めて、信じ抜く!」ことが信心ですからね。
質問者からのお礼
この度はご回答を頂きありがとうございました
。大変分かりやすい例題でした。信心は人に聞いてするものではなく、自分がどう受け止めるか。の問題ですよね。家の代々伝わる浄土真宗を務めあげたいと思います。お忙しい中、ありがとうございました。