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魔境

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

台湾にいた頃道士さんから内丹法という瞑想を教わり以来続けています。         時折何とも言えない気分の良い状態になりその感覚を追い求めるようになりがちです。
溺れないよう景色を眺めるように客観視に努めるということでしょうかね。

2022年7月21日 14:31

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一切衆生に広く回向すべし

何かをしようとする心の行為がそこにとどまろうという脳の働きになり、気分の良い状態を求めてそこに浸ろうとするとそれが目的になります。
坐禅も瞑想も念仏も止観もマインドフルネスもそこに菩提心、発菩提心がないと結局自分のための行になる。自分のためのヨガ、美容のためのヨガ、何かのためのヨガ、ヨガが悪いわけではありませんが、美しさやわが身をたかめようとすることの「ための」行になってしまうのではないでしょうか。
お釈迦さまや祖師たちは美容のために坐禅しなせぇ、瞑想しなせぇと言われたわけではないはずです。
そこに菩提心があるかないか。
人間が人間の世界のこの上ない最高最上の心になるということは簡単に言えば自分も相手も救われていく、自分も相手も安らかになれるような立派な人格・人間性も伴わなければ結局セルフということになってしまう。
セルフでよければお釈迦さまも祖師方もみんな世間のことなどホットケさまだったでしょう。世間のイメージでは出家・出離とは隠遁のようなイメージがありますが、立派な祖師たちは世間から目をそらして永遠に山籠もりをしていたわけではありませんから、自分も救い人々も救うようでなければならんということでしょう。
某アヤシイ教団が教団の教義でしばる・しばられるような「それ以上向上のない」人間を枠に閉じ込め押し殺してしまうようなものであるとするならばそこからさらに疑問をもって「このままで良いのか」と自問自答してさらに向上心を持ってみるとよいでしょう。
禅宗では「格外」「超師」ということが重んじられます。
とびぬけろ、師を超えろ、と。
そういう大きな心の方向性をお持ちになられると尚、良いでしょう。
単純に申し上げれば、料理・調理の勉強をして自分史上、最高に美味しい料理を作れるようになったのであればそれを多くの人に広めるということがあってもいいでしょうし、更には食育、命の尊さ、生きるということの大切さにも目が開くようになるということです。食材一つでもそれがどこから作られてどのような影響が体におよぶかということを安全面でも考える用に、瞑想・坐禅をして、「どうなること」が人生において大切なのか。宗教性を欠いたマインドフルネスがそれ以上の成長が無くなってしまったように、真の宗教性とは何か、人生どうなればよいのか?そこを問う姿勢も大事だと思います。

2022年7月23日 8:18
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

空っぽがよいんですね。
先生のところへいつか座りに伺いたいです。
有難うございました。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 16
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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

有り難し有り難し 18
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ