自分の精神を安定させる方法
僕は今大学生なのですが、一年前受験勉強をきっかけに精神状態が乱れがちになりました。それが終わってからは大分良くなったのですが、今でも朝や、ふとした瞬間に不安になったり暗い気持ちになったりする時があります。
思い浮かぶ内容については1つではなく、正義のことだとか、大きな事件についてのことだとか色々あります。いずれにしてもネガティブ、暗い内容のコメントが心に突き刺さってしまうようになってしまいました。
具体的に言えば、このサイトやニコニコ大百科というサイトにおいて「自殺」だとか「反出生主義」などの掲示板をよく見て、その度苦しい気分になっていました。
何というか、自分を否定されているような気分で、それに同意したくないのかもしれません。しかしいくら考えても答えが出ず、結局離れることしかできませんでした。
今思えば、それより前から似た経験はしていた気がします。自分の好きなものを否定する意見を見た時激しく動揺して、そうなのだろうかと不安になっていました。
自分が一人で色々考えがちな性格なこともあり、今まで相談する気が起きなかったのですが、専門家の方にも相談した方がいいのでしょうか。一人では対処法が見つかりません。
考え過ぎてしまう。特に解決の難しいことや論争の的になりやすいこと、正義などについて。いつまでも考えるばかりで答えが出せない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「見ない」「聞かない」、習慣を身に付けていくこと。
拝読させていただきました。
現代は情報社会であり、目を閉じても中々情報から離れることは難しい時代でもあります。
EchoEchoさんのおっしゃる通り、離れることは難しく、集中力も欠けることも察します。
仏教では「禅定(六波羅蜜)」や「正定(八正道)」など様々な方法をもって気持ちを安定させることはありますが、難しいものです。
今、ひとりになれる時間と場所というものを見つけようしても見つからないものですが、以外に近くにひとりになれる場所はあります。それはトイレです。トイレにいるときは誰にも邪魔されることは基本ありません。また風呂でもひとりです。
携帯などSNSツールを手から離す環境と時間を少しずつ作っていくことから意識することが、まずスタートと思います。
釈迦の言葉は今から約2500年前の真理ですが、現在も科学がどれだけ進化しようとも変わることはありません。
ひとつ質問に対しての釈迦の問答をいたします。
『他人の過失を見るなかれ、他人のしたこと、しなかったことを見るな。自分のしたことと、自分のしなかったことだけを見よ』
こう釈迦は説きます。
いわゆる他人を見ることで、五蘊という「色・受・想・行・識」が自然に生じます。この五蘊が自身の経験値より脳が判断したり、心が反応していきます。自身にとって無駄な苛立ちなどが起こる現象が煩悩です。
人は見たり、聞いたり、匂ったり、味わったり、触ったりする五感「眼・耳・鼻・舌・身」により、意識という六感である"こころ"が生じると説きます。
とにもかくも、意識というものはひとつの習慣化されて癖ととらえてもらったほうが分かりやすいかも知れません。
見ない習慣、聞かない習慣などを身につけていき、善きことだけを取り入れる習慣を身につけていくことが今の方法であるとも感じます。
過去や他人に私もとらわれることもありますが、気づく意識をもつことで「あっ!またこれは執着になってしまう!ダメだ!」と悪い習慣から気づきより離れていく気持ちをもつことで少しずつですが、習慣から離れていけます。
同じように誰もいくことではありませんが、仏教では知恵も大切にしていますが、智慧をつけることが自身を安楽に導く修法です。
合掌